見出し画像

「母はなみだ 乾くまなく祈ると知らずや」

わたしはクリスチャンではありませんが、キリスト教系の高校で聖歌隊の活動をしていました。素敵な讃美歌はたくさんありますが、入学してすぐの5月に母の日にちなんで選曲されたこの讃美歌に出会いました。

単純に歌詞の美しさに感動しました。高校の3年間、毎年5月にこの曲を歌いました。当時のわたしは、母の思いを想像できるわけもなく歌っていました。

卒業して聖書はどこかに失くしてしましましたが、讃美歌集だけは大切にしていました。結婚して妊娠した時は暇つぶしに、クリスマスが近づくとまた讃美歌を歌っていました。

ところが第2子の息子が生まれ、わたしの生活が一変します。生後、口蓋裂が発見され、2ヶ月に1度肺炎になり入院を繰り返していました。2つ違いの長女の世話と、息子の看病で忙殺されていました。仕事は退職せざるを得なくなりました。

毎日が必死すぎたのか、子どもたちが小さかったこの時代の記憶は非常に少ないです。

そんなある日、ふと讃美歌集を開き、母の日がある5月に歌った讃美歌510番の歌詞を読みました。

気がついたら、涙がこぼれていました。今日までたくさん泣いてきたのに、それでも涙はこぼれてきます。

「そうか母というものは、子を思い涙も乾く間もないのか。」

息子が生まれてから、ボロボロになっていました。こんなわたしを見て、わたしの母も涙しているのだと思い知りました。

わたしの母は、息子(孫)が生まれた時「子どもは病院が助けてくれる。だからわたしはお母さん(娘)を支えなければならない。」と言っていました。

ああそういうことか、「母」という存在はそのようなものなのかもしれません。

毎日泣き暮らしていた時代を過ごし、わたしは息子に嫌味を言い、お尻を叩く怖い母になりました。

まぼろしの影を追いて
うき世にさまよい
うつろう花にさそわれゆく
汝が身のはかなさ
春は軒の雨、秋は庭の露
母はなみだ 乾くまなく
祈ると知らずや

おさなくて罪を知らず
むねにまくらして
むずがりては手にゆられし
むかしわすれしか
春は軒の雨、秋は庭の露
母はなみだ 乾くまなく
祈ると知らずや

汝が母のたのむかみの
みもとにはこずや
小鳥の巣に帰るごとく
こころやすらかに
春は軒の雨、秋は庭の露
母はなみだ 乾くまなく
祈ると知らずや

汝がためにいのる母の
いつまで世にあらん
とわに悔ゆる日のこぬまに
とく神に帰れ
春は軒の雨、秋は庭の露
母はなみだ 乾くまなく
祈ると知らずや

讃美歌510番

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?