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障がいを持つ子どもの母は毒を持ち、無邪気な人の邪気ある言葉に相対する。

障がいのある子どもを持つ親は、なかなか地域の人と繋がる機会がありません。
一般のお子さんは地域の小学校に入学をきっかけに地域のお友だちやその親たちとの交流が生まれる機会があります。そうとは言えないのが、障がいのある子どもを持つ親。母なのです。

「小一の壁」
障がいのある子どもの進路として、小学校で支援学校に行くと、校区外の学校にスクールバスで通学することが多いので、地域のでの交流が乏しくなります。
この進路選択を悩むのが障がい者を持つ親のいわゆる「小一の壁」です。

そもそも障がい者を持っていると、その行動が特異だったり、親は人に気遣って生きているので、近所との交流を積極的にしようという気持ちには、なかなかなりません。少なくとも私はそうでした。

それに療育や通院、その他諸々、健常児の親とは違うことに時間を割かねばなりません。ちっぽけな母のキャリアなんて、よほど運が良くなければ、途切れることはやむ無しなのです。

「渡る世間は壁ばかり」
息子は小学校は地域の学校に通いましたが、親は中学入学時に支援学校、高校入学時に支援学校と、その境目ごとに、悩み決断していくのです。
時にこの境目で母は、子どもの生活に合わせるように転職することもあります。

支援学校では、よく似た障がいを持つ子どものお母さん方との交流する機会があるので、最も気楽で楽しい時間でした。しかし広域な場所から通学しているので、学校行事で顔を合わせることが楽しみでした。

「18の壁」
支援学校の高等部を卒業する時の「壁」は最大級に大きいものでした。これまで利用していた「放課後ディサービス」が18歳までだからです。なにかと先生方に相談していた学校も卒業を持って終了です。これまで子どもを守ってきた武器をもぎ取られるような気持ちになりました。

でも素手では戦えません。卒業したあとの進路として、生活介護、就労支援事業所を探し出すのです。

まずは子どものレベルがよくわからないので、私は20数箇所を見学して歩きました。たくさんの事業所を見ていくと子どもには無理なレベル、ちょうど良いレベル、少し背伸びするレベル。穏やかに過ごしていけるレベルなど、息子に照らし合わせて、相性はどうだろうかと考え続けました。

その次に事業所の方針、例えば保護者会の有無です。私は付き合いが面倒なので、保護者会の無い事業所を探しました。そしてスタッフと親の相性なども大切です。

こうして探し当てた現在の事業所は、親子ともども大満足です。息子もゆっくりですが、出来ることが増えています。
来春には同じ支援学校から後輩も来ると聞いて喜んでいます。

「大仕事」
新しい事業所に慣れていくまで、生活全てが変化するので、親子ともども多少に時間は必要になります。18歳という境目には、福祉制度が児童から成人に切り替わる影響が非常に大きいのです。

そして20歳になると障害年金の申請があります。出生からこれまでの生育歴を記載して申請しなければなりません。年金支給の有無が子どもの生活を左右します。
主治医の意見書をもらうなど、かなり神経を使いました。

この申請が終われば、あとはそう変わりません。
やれやれとホッと息をつくのです←ウチはいまココです。

「いつのまにか」
息子を育ててきて、進路で悩む以外にも、辛いことがありました。
特に悪気のない言葉の刃は、どうしようもありませんでした。

「息子くんは、たかのさんを選んで生まれてきたのよ。」
←別に私を選んで欲しくはなかった。
「息子くんがクラスにいてくれて、みんな優しくなれた。」
←うちの息子も優しいクラスメイトの役どころがよかった。
「障がいがあるなら、芸術の才能があるかもよ。見つけてあげなよ。」
←棒人間がやっと描けるようになりました。

親切心からの無邪気な言葉でした。
けっして悪い人たちではない、
ないからこそ辛くなりました。

昔はよく泣いていましたが、
もう面倒なので、そんな人たちとは付き合うことをやめました。
とっとと、あかんベーと去って行けばいいのです。

でも一言だけ言っておく
あんたは気がついてないと思うけど、
健常者も誰でも病気や事故、老化で障がい者になることもあるんだよ。
だから他人事は我が事だよ。

いつのまにか
こんな毒を吐くような人、母になりました。
といっても気が弱いので、心の中だけですけど。
いつのまにか私はすっかり変わってしまったようです。

・・・

数日前、古い友人からのお誕生日のメッセージが届きました。
「しぶとく生き抜こうね💖」とありました。
どうやら私は、昔からその片鱗はあったようです。
しぶとく生きております😝



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