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きよと笹団子、私と紅いもタルト

沖縄に出かけている友人に「紅いもタルト」を頼みました。私の中で沖縄といえば、紅いもタルトです。私はこのお菓子が大好物です。ところが「入荷待ち」で購入できないと連絡がきました。

そんなはずない!沖縄の銘菓だぞ。那覇の土産物屋のどこかにあるはずだ、気合い入れて探せ!!

良識ある私は、そのような暴言を吐くこともなく、静かに紅いもタルトの製造元のホームページを検索しました。

なんと紅いもの原料不足により、紅いも菓子のすべてに影響が出ているらしいです。

なら仕方ない。

事情を理解しましたが、食べるつもりでいた味覚が我慢なりません。

深い悲しみが広がりました。

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私はお菓子が大好きですすが、ご当地のお菓子も大好きです。旅に出ると現地で食し、ワガママを聞いてくれそうな友が旅に出ると聞くと、博多の通りもん、広島のもみじ饅頭、仙台の萩の月・・・と探しやすい定番のお菓子をお願いするのです。

お土産を頼む時、いただく時、食べる時に思い出すのが、夏目漱石の「坊ちゃん」にある、坊ちゃんの乳母のきよとのくだりです。愛媛の松山へ赴任するぼっちゃんに「越後の笹団子」をお土産にお願いするエピソードが一番好きなのです。

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私は子どものころから、きよの姿を母方の広島の祖母を重ね合わせて想像していました。小柄で口数が少ない祖母でした。末っ子の母が私と弟を連れて帰省すると、いつも畑仕事をしながら、出迎えてくれました。青々と茂った夏野菜の中に埋もれるような小柄な人でした。

終生、生まれ故郷の広島県から出ることがなかった明治生まれの祖母でした。祖母の父(私の曽祖父になります)は、アメリカに行ったまま帰ってきませんでした。残されたお母さんと妹弟とでずいぶん苦労したそうです。

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「あれが食べたい」と自分からは言わない祖母でしたので、美味しいものを、たくさん食べてもらいたかったです。

坊ちゃんに笹団子をお願いしたきよでしたが、亡くなるまでにきよは笹団子を食べれたのかな。松山だから一六タルトかな(当時、存在したかは知らないけど。)

同じ明治時代に生きた祖母と、創作された「きよ」に思いを馳せながら、紅いもタルトが奇跡的に私のもとにやってくることを祈っています。



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