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雨の日の「偲ぶ会」

先生の「偲ぶ会」に行ってきました。葬儀にも参列したけど、まだどこか信じられなくて、スーパーでばったり会うような気がします。路地からひょっこり現れるような気がします。

「もう亡くなっているから会うこともないのにな・・・」

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雨の中、偲ぶ会に集まった人たちは皆さん10年以上ぶりに顔を見る人ばかりでした。私の顔など覚えている人そうそういないでしょうから、声をかけることは最低限にしました。

むかしギラギラした人が良い加減に枯れた感じがしました。

新進気鋭の若者が落ち着いたベテランになっていました。

あの時、迷っていた人は、今はどっしりと我が道を歩いていました。

どの人も白髪が増えていました。

私も美容院に行きそびれたので、白髪を帽子で隠していました。

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みなさんのスピーチでは、故人の酒飲みエピソード、社会活動や、学者としての業績など、感心したり驚いたり笑いあふれる時間でしたが、その若すぎたその死に悔しさが滲んでいました。

さて最後の大御所のスピーチの前に、飛び入りで歓迎ということで、何人かの人が手を上げてスピーチをしました。

バカみたいだけど、私は亡くなった人に聞きたいことがあったのです。でももう答えてはくれません。それでも何かを語りかけたくて、私もマイクの前に出て行きました。

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当時の私は、突然社会の最下層に陥り、夫や社会を憎み真っ黒な毒を撒き散らしていました。

しかし先生との出会うことで、狭い世界で生きてきた私に広い世界を見せてくれました。まさしく社会の扉を開けてくれた恩人でした。

ある時、炊き出しに連れていってくれました。そこではシスターやお坊さんが炊き出しをしており、たくさんの人が食を求めて列を成していました。豊かだと信じていた街に大きな穴が空いているようでした。私はその光景に衝撃を受けました。

結局当時の私は何も見ていなかったし、何も考えていないし、何も知らなかった大馬鹿者だったのです。誰も悪く無いし、憎むべき相手もいません。つまり自業自得だったのです。

先生の話は難しくて理解が出来ませんでしたが、研究会にも連れていってもらいました。そこでたくさんの人たちに出会いました。そこからいま一緒に相談室をしている人に繋がりました。そんなエピソードを語りました。

そして最後に感謝の言葉を述べました。

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言葉にしたことで、肩の荷が軽くなりました。どうやら私の気持ちの区切りがついたようです。雨は降り続いていましたが、私の心は穏やかになっていました。

生きている限り人との「縁」は続いていくでしょう。また新たな「ご縁」を紡ぎつつ、これからも生きていこうと思いました。



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