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じいじの病気

今回は、少し個人的な話を。

僕はこれまで基本、ネットの投稿は仕事の報告と「こども論」を書くようにしてまして、なるべく仕事以外の自分の話はしないようにしてきました。

息子・娘の話は時々書きますが、そこはふだんの保育や教育の話とも通じているからということで、それ以外は書かないようにと思ってきました。

でも、たまに講座などで会う先生に言われます。

「会うまで、こわい人かと思ってました」とか。

「文章で読んでいた印象よりも、ソフトなんですね」とか。笑

たしかに、こどもたちの分析や考察の記事だけでは、そう思われることもあるのかもしれませんね。

それはそれでいいのですが、僕自身、子育て、保育、教育というのは、暮らしの文脈の中で語られるから届くこともあるんだろうなと思ったりもして。

なので、何かタイミングがあれば自分のことももう少し書けたらいいのかなぁなんて思いながらも、結局、仕事の報告とこどもの話ばかりだったのですが。

ここ数年、家族のことでずっと考えていたことが、最近少し前進した気がするので、今日はそのことを書くことにしました。

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六年前、僕の父は水頭症を発症した。
その後、色々検査をしたり、手術も受けたりしたのだけど、あまり改善はみられず、進行している。
症状としては、認知症、歩行障害、排泄障害。

一番大変なのは、それをサポートしている母なのだけど。
家族もそれなりに大変だ。

例えば、家族で夕飯を食べるとき。
父は、みんなで「いただきます」という習慣がもうわからなくなっているし、
目の前にあるとなんでも自分のものだと思って食べようとしたり、
お箸を同じタイミングでもってこないと、お茶碗のご飯も手掴みで食べはじめたりする。
だから、そこは家族みんなで配膳や食べるタイミングの工夫が必要になる。
こういうことが色々な場面である。

僕は介護や介助の専門ではないけれど、学生時代から障害のあるこどもたちとのサークル活動やキャンプをやっていたのもあり、障害をサポートをするという経験が全くないというわけではなかったし、心づもりとしては、もっているつもりでいた。

だけど、やっぱり頼もしかった父が、様々なことの認知がわからなくなった姿というのは、心の整理をつけるのに、なかなか時間がかかることだった。

「だった」というか、今も完全に整理がついているわけではないのだけど。
それでも最近、父の障害について、前向きな力もわいてくるようになった。

きっかけは、息子と娘だ。
二人を見ていると、本当にすごいなと思う。

11ヶ月の娘は、じいじに何度もいないいないばあをする。
普段、自分から何かをするということがほとんどなくなった父が、孫たちには自分から手をだし、触れる。そして、時々だけど、ニカッと笑う。

力の加減ができなくて、強くにぎったり引っ張りすぎてしまうこともあるから、こっちとしては、けっこうヒヤヒヤもするけれど。当の娘はそれもものともせず、じいじに笑顔で向かって行く。
0歳にして、頼もしい背中だ。

3歳半の息子は、じいじの病気を自分なりに理解している。
ちゃんと話すかどうか迷ったけど、話さない方が逆に戸惑うことが多いだろうと思って話した。

息子は、じいじが歩く時(歩くといっても一歩5cmくらいずつ)、近くにいるとスッと自然に手をつなぐ。

ご飯を食べるとき、じいじがお箸を忘れて手で食べようしても
「じいじ、おはしでゆっくり食べなね。」
と優しく声をかける。

きっと3歳の息子からすれば、色々なことが認知できなくなってしまったじいじの行動というのは、理解できないことも多いだろうに。
それでも、受けいれている。
そんな息子たちの姿に、僕の方が気づかせてもらう。

そうか。

今の父が、子どもたちに授けてくれているものがたしかにあるんだと。
しかも、それはものすごく大切な何かだと。

僕は息子として、父のこれまでに感謝しかないけれど、障害を抱えた父のこれからにもやっぱり感謝しかないんだな、と。

そう思うと、何か自分の中でぐぐっと前に進んだ気がした。

(もちろん、そうは言っても、これは僕の頭の中でのことであって、母が介護をすることでの精神的・身体的な負担は相当だろうかろから。それを支えながら。)


じいじを真っ直ぐに受け止めてくれる息子たちを見ていると、ついついありがとうを言いたくなってしまう。
でも、なるべくがんばって言わないようにしている。僕にありがとうと言われるためにじいじに優しくしてるわけじゃないから。

むしろ、ただ素直にじいじと話そう、関わろうというこどもたち。
自然にじいじとチューニングをあわせようとするこどもたち。
それが、僕から見たら優しさに溢れているのだと思う。

直接は伝えられない感謝を、子どもたちの寝顔を見ながら思う。

わかっているよ、父ちゃんは。
じいじに優しく話しかける一方で、時々、不安そうな顔でじいじを見ていること。

そりゃあ、そうだよね。
父ちゃんだってそうだもの。

そんな顔を見ていると、こんな不安な顔をさせていいのだろうかと、考えたりしなくもない。
特に息子に病気の話をするのは早かったかなと。

だけど、すぐに思いなおす。

いや、そうじゃないな、と。

ちゃんとじいじの病気を受けとめる、こどもたちを信じようと。

その不安にもきっと大きな意味があるから。
そして、その不安を吹き飛ばしてもおつりがくるくらい、父ちゃんと母ちゃんが、家族や仲間が、安心でいっぱいにするから。
だから、じいじをこれからもよろしくお願いします。

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こども環境デザイン研究所代表。絵本作家。(『たんけんハンドル』発売中)  子育て、保育、教育を軸に、毎週1本ずつコラムと日記をお届けします…

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