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【参加記】せたがや居場所サミットでもっとちゃんと語りたかった

いつからか自分の語りがとても「説明的」になってしまった気がする。教員の職業病?いやいや、他の教員に失礼だ。私自身が、「説明」の次の境地に辿り着いていないだけだと思う。まあ、これも説明的な言い方だな。

去年からゼミの子たちを大学の地元である世田谷に送り込んで質的調査研究をしている。駒大経済学部の松本ゼミのご紹介のおかげで、おやまちプロジェクトふかさわの台所、用賀のneomuraともつながりができて、ようやく駒大生らしいゼミ活動ができるようになってきた。今日(7月2日)は多彩な居場所づくりの活動を行う団体が一堂に集まるせたがや居場所サミット(3回目)。幸運にもコメンテーターに呼ばれて、世田谷のみんなに自分を知ってもらう「世田谷デビュー」のチャンスをいただいた。

羽根木プレーパーク、neomuraのタマリバタケ一般社団法人輝水会、そして去年ゼミ研究をさせていただいたフィールドのおやまちプロジェクト、4団体の発表がそれぞれ興味深く、本当に心に響いた。

禁止事項を設けずに自由に遊べる場所を40年前から実践してきたプレーパーク。「自分の責任で自由に遊ぶ」というプレーパークのマインドを持った子供たちが大人になったら、きっとすぐに「けが(失敗)をしたらどうするんだ!」「責任者は誰だ!」というような他力本願の大人にはならないと思う。物理的に同じようなプレーパークをいっぱい作ることができなくても、プレーパークマインドを持った人をとにかくどんどん増やしていけば、日本社会はきっと変わっていく。

まちの空き地をみんなのたまり場にしたタマリバタケ。「畑づくり」は人づくり、社会づくりそのものなんじゃないかと思うぐらい、その可能性と魅力は無限大。古沢広祐先生が本で書いたことだが、食と農は人間と自然を結ぶ「へその緒」であり、食べ物は決して単なる栄養素ではなく、人間という存在の原型を示す。自然に癒され、畑の風景とそこに関わる人々を素敵な絵に描き続け、電子書籍の絵本まで作った城田さん、畑での出会いからつながりがどんどん広がり「人生を満喫している」とおっしゃる山中さん。沁みる話だ。

多様性を包括する場づくりを目指す輝水会は、レジリエンススポーツ教室を軸に事業を展開している。「スポーツだからこその悔しさや達成感が楽しい」という参加者の言葉から、リハビリコースと呼んでいた事業を「レジリエンススポーツ」と呼び名を改めたという。非日常的なスポーツ体験で得た自信を日常につなげることで、レジリエンスを達成させる。コンセプトに大いに頷く。同時に、「やってあげる」のではなく一緒にやる、「支援する/支援される」の関係からの脱却という強い信念がひしひしと伝わってくる。

おやまちプロジェクトは何といっても、「課題解決を目的としない」というところが私にとってインパクトが強い。20年前から市民セクターの研究をしてきたが、市民のボランタリーな活動はとにかくニーズ(課題)やミッションが大事なんだと、そう思い込んできた。しかし課題解決を前提にすると、その課題を自覚している人、意識が高い人しか関わらないことが多い。多くの「一般的他者」にとって「他人事」になってしまい、「参加の格差」が生まれる。おやまちプロジェクトは、課題を掲げず、ミッションを示さず、ただ出会い、つながり、やりたい人がやりたいことをやっていく、そのサイクルを繰り返し、まるで生命力あふれる未知の植物のようにのびやかに広がる「市民活動の新世界」を見せてくれた。

ここで言っていることをただ素直に伝えればよかったが、その場ではうまく言葉たちを組織化できず、ちょっと研究者くさいありきたりの質問をしてしまった。活動の持続性を実現していくためにどう財源を多様化していくか、個々の拠点での活動という枠を超えてどう効果的な連携を実現し、真の社会的な変化をもたらすのか、そんな教科書的な問いを出してしまった。

正しい問いなのかもしれないが、心底聞きたかったこととはたぶん違う。駒大に就任したのが2002年。この20年もの間、世田谷はただの勤務所在地だった。それが去年から、おやまちプロジェクトに何度も足を運び、いっぱい話を聞き、タタタハウスでおしゃべりをするようになり、ふかさわの台所でゼミをやるようになり、neomuraの用賀サマーフェスティバルの企画チームにも入った。そしたら一気に、世田谷の風景が違うように見えたんだ。知り合いができた。行く場所ができた。やることができた。いつも通っていた歩道がただの歩道ではなくなり、だれだれさんが住んでいるマンションの前の道なんだ、となった。

そう、それが言いたかった。これが自分の五感で感じられた「居場所」の始まりなんだなと。だから本当に質問したかったのは、ただの居住地や勤務地の景色を一変させ、その人の人生に入り込んでいくような、これらの居場所の「秘密」について、だった気がする。

正しい説明をして、正しい質問をすることで、自分の人見知りをごまかしていたのかもしれない。くよくよが残る世田谷デビューとなったが、市民活動やNPOの研究を始めた20年前のワクワク感と興奮を、久しぶりに味わえた。

かわいいゼミ生たちと一緒に、世田谷の地で、私もほんまもんの一人前を目指して、成長していきたい。
(Y)

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