『下弦の月に消えた女』瞬那浩人
ミステリー小説だからネタバレは書かない。だから、物語の確信にならない範囲で感想を書く。
初めはただの行方不明者の捜索と思いつつ、最後は…「!」
である。
「〈自我〉とは何か」「〈自己〉とは何か」
読み進めていくうちに、徐々にそのような哲学的な問いにはまっていく。
"cogito, ergo sum(コギト・エルゴ・スム)"
かのデカルトは、このようにいったが、近年の科学の発達は、その大前提をも崩しかねない。
さも自我を疑っている自我すら、本物であるという確証を持てないのならば、本当の意味での自我とは何なのだろうか。
機械と脳。脳と記憶。
なんだか、2014年公開の"Transcendence(トランセンデンス)"を想起させる。
冒頭の描写がよくわからなかったが、読み進めていくに、謎が解けていき、最後まで読んだ後にまた冒頭を読むと、ようやく全ての意味が理解できる。
そして、タイトル『下弦の月に消えた女』の本当の意味も。
場面描写が非常に細かく描かれており、難解なイメージのあるミステリー小説だったが、とても読み易く感じた。
とはいえ、351ページもあるので、読みごたえは十分ある。
しかも、一度の読書で内容をすべて理解できるはずもなく。
ところどころ、読み返しながら、点と点をひとつずつ線でつないでいく…。
その過程は、まるで主人公たちと共に、謎解きをしているような、そんな感覚にすらなる。
そしてあの結末である。
現代人だからこそ、挑めるテーマであり、現代人だからこそ、描けるテーマである。
さて、深遠な瞬那ワールドは、読んでいる我々に対して、哲学的な問いを投げかける。
即ち、"Quid est esse me?"(クィッド・エスト・エッセ・メ)
さぶりゆきこ氏による表紙のデザインも、味があって、なかなか良い。
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