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追っかけた先にあるものは?

GW前、ヅカオタをしている友達に誘われて某娘役さんのお茶会に参加してきた。最近、専ら古着ばかり着てるからよそ行きの服が無く焦った。お茶会に行く前に四川料理をたらふく食べてきたので会の間、お腹を壊さないかヒヤヒヤしていたので娘役さんが可愛かったことくらいしか記憶が無い。

そんな宝塚ファンをしている彼女が以前、真面目な顔をしてこんな話をしてきたのが印象的だったことをふと思い出した。

私が死んでも、タカラジェンヌは悲しんでくれないし、今仲良くしてる宝塚ファンの友達も流石に私が死んだら悲しんでくれるとは思うけど、私が宝塚ファンを辞めたら、会わなくなると思う。なんかそんな人達に私のお金と時間を費やす意味があるのか分からないんだよね。

出待ちガンガン行きまくっている彼女がそんなことを言い出すとは意外だった。宝塚ファンの世界も色々大変なことがあるらしい。

「そうだね。本当に何も残らないね。『推しは推せる時に推せ』だのなんだの言うけど、正直、何も残らないよね。」

「本当それな。意味無いよな。」

原宿のおしゃれカフェで周りがインスタ映え〜♡とか言ってる中、深刻な顔して話していた。

先日、Hey! Say! JUMPのコンサートがファンのマナーの悪さで中止になったというニュースがあった。新幹線でわざと近い席を取って話しかけたり写真を撮ったりしていた一部のファンがいると。

野球ファンでも選手寮や泊まっているホテルにまで駆けつけてくるファンがいる。なんか最早、ファンじゃないし、趣味の域を超えている行為だと思う。でもそういうことをするひとはもう狂ってしまっているので、自分の行動で迷惑をかけてしまっていることが分からないし、相手に無視されたりしても「今日は疲れていたのね」って都合のいいように解釈してしまう。

それが趣味、生きがいと言ってしまえばそれまでなんだけど 、趣味の割合が自分の生活の中で重くなってくると前述したような常軌を逸した行動をとってもそれが普通ではない事だと分からなくなってしまう一面がある。

過剰に追いかけて自分を客観的に見つめることが出来なくなった人を多々見かけてきた(二軍球場怖い)。すごい派手な格好(厚化粧だったり露出が多い服を着てたり)をしているかすごい地味だったりするのは一見両極端に見えて「自分を客観的に見れていない」証拠なんだろうと思う。

確かに、私の友達もタカラジェンヌの追っかけをしているファンだし、前述した球場やSNSで見かけるイタイ発言をする人も同じファンに過ぎないのだけれど、「私が死んでもタカラジェンヌは悲しんでくれない。そんな人達に時間とお金をかける意味。」と、自分を客観的に見てこのままじゃまずいと危機感を持っていることこそが、趣味の範囲を超えないために必要なんだなあと痛感した。

どうせ時間とお金をかけるなら自分と自分を大切にしてくれる人にかけた方がとっても有意義だ。自分の人生なのだから誰かを応援する前に自分が頑張らなくてどうするんだ。相手がどんなに優しく接してくれたとしても「自分が死んだら悲しんでくれる」のか?追っかけをしていることで顔も名前も覚えてもらった、と優越感を持つことは一時的に出来るだろうがそれもただの自己満足に過ぎない。現状は何も変わらない。

趣味を持つことは素晴らしいことだし、人生を豊かにしてくれるものだというスタンスを忘れてはいけない。必要以上に悩んだり怒ったりしてしまった時は、今一度冷静になって自分を客観的見つめてみることが大事だ。

#スポーツ #追っかけ #野球 #ファンとは #プロ野球

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