商店街活性化の最終手段はリレー小説なのか(3/5)
● 住んでいる町のあこがれの部分を書く
この企画の影の主役は第一巻を書いた増山かおりさん(写真)である。
執筆者の選定はもちろん、校正家も彼女が声掛けしているのだ。偶然か、それとも必然なのか、今回のメンバーは全員高円寺に縁がある面子で固められている。
執筆者の一人、半澤さんはむかし東高円寺に住んでいた時期があり、同じく執筆者の枡野さんも高円寺で暮らしていた時代がある。イラストの樋口達也さんは現在の住まいこそ宇都宮だが、高円寺に17年間住んでいたときは郵便局の配達員としてエトアール商店会を受け持っていたこともある。カメラマンの佐藤正純さんは増山さんと高円寺フェスのアート関連企画で知り合っている。そんなこんなで『高円寺エトアール物語』の制作チームは「ほぼオール高円寺」と言っても過言ではない陣容なのだった。
かく言う増山さんは高円寺に7年住んでいる。大学を卒業後、すぐに一人暮らしを開始。高円寺以外の場所に住むことは考えられなかったという。
「高円寺が自分にとってのアイコンだったんです。さくらももことかみうらじゅんとか好きなモノがみんな高円寺に関係していて。私の『天狗ガールズ』では、どうして高円寺が好きなのか? という理由を書くことが、結果的に高円寺の魅力を伝えられる一番よい方法だと考えました」
タイトルの「天狗」は作中に登場する架空のバンド「テングス」を指している。主人公は女子二人でこのバンドのファンである。バンドのモチーフになっているのは増山さんがハマッているという「イカ天(「三宅裕司のいかすバンド天国」)」出身のスリーピースバンド。高円寺のライブハウスへの出演経験も多く、ドラムは高円寺在住だという。
「高円寺のバンドなんだ、とますます好きになりました。実際になんども高円寺の町中で見かけているんです。尊敬する人と同じ町に住んでいる、という高揚感を書いています」
増山さんの作品は、高円寺の一般的なイメージ……古着とかロックバンドとかサブカルなどのイメージ……を一身に体現してる。それこそど真ん中のストレートと言っていい。ただし男性形のイメージがある高円寺に対して、若い女の子がキャピキャピとはちきれそうな魅力を振りまいているところが、ちょっと変化球気味で面白い。これは狙って出したのだという。
「私の作品はシリーズ一作目なので、高円寺がどういう町なのか示す必要がありました。そこは意識しています。その上でキャピキャピ感を出すために会話する相手がほしいと思って、主役は二人にしました。若い女の子のピチピチした感じが特に出ている天麩羅屋の『天米』の場面は、実体験の反映です。好きなバンドのジャケット撮影地である古い洋館へ行ったときの体験をほぼそのまま書いています。
はじめのうちは物語を成立させるために半ば無理やり書いていたのですが、洋館でバンドのメンバーが座った椅子に腰掛けた話を書いたら筆が滑り出しました。物語のディティールに自分の経験をなぞるように入れると書いていて楽しいですね」
ちなみにバンド名が「テングス」なのは、モチーフになったバンドが日本の中のおどろおどろしいイメージを歌っていることが関係しているという。と同時に、敬愛するみうらじゅんの影響もあるとかないとか。文体の方も大好きなさくらももこの古風な語調から影響を受けているそうだ。高円寺文化の美しい円環が起きているというわけだ。
「私の中の高円寺のイメージは暖色系。『天狗ガールズ』の表紙のオレンジ色はイメージ通りなんですよ(*註)。だから例えば河童のような寒色系の妖怪だと、高円寺らしくなくなってしまうと思うんです。それからこれは偶然つながったのですが、中国だと天狗は流れ星という意味なんです。そしてエトアールはフランス語で星ですし、結果的によく仕込んだような状態になりました」
この作品はまず骨組みから決めたという。パル商店街と交差するエトアール商店会の手前側からじわじわ通りの奥に行く構成にしたのだ。「端から端まで登場させるという部分を一番意識した」というから職人的である。
エトアール通りがある南口は古着屋が多いので、古着屋は出す。取材などで過去からの付き合いがある店のうち「ここは絶対やりたい」という所(4カ所)を登場させるなどテクニカルな部分を詰めつつ物語に肉付けをし、ラストは「憧れの人とどうにかなる」という希望のあるエンディングに、と最初から決めていたそうだ。その一方で商店街のことだけでなく、高円寺全体の話をするように心掛けた。
苦労したのは、店をたくさん出すために文章量が必要だったことだという。当初は倍のボリュームだったのを削って半分にしたのだとか。増山さんは13軒の店舗を登場させているが、製作時間は取材も含めて正味2ヶ月、実質1ヶ月。7月からミーティングが始まり、取材や執筆の傍ら本に掲載する商店街の地図も担当した。結構タイトなスケジュールだ。
「この作品は住んでいたからこそ出来た作品ですね。住んでいなければ書けないことを書くつもりはなかったんですが、端々にそれがにじみ出ていると思います。高円寺に住んでいればバンドマンが多いことは肌で分かりますし、時間帯ごとに変わる町のいろいろな顔も見ています。なにより町の空気が分かります。
私は主に実生活で見たことを意識して書いているんです。自分の知っている風景、毎日見ている風景、見た事のある写真、見た事のある強烈な景色。そういう自分の持っている材料を組み合わせて書きます。
視覚情報の他に店先や電車内で耳にした会話も材料にします。町によって住民のタイプが違うので、自ずと会話も違ってくる筈。住んでいる場所からは影響を受けますね。私にとって書く材料を提供してくれるのが町なんです」
では仮に、高円寺が好きで通いつめてはいるけど住んではいない、という人が書いたらどうなるのだろうか?
あるいは住んではいるものの、それほど町に愛情がない人が書くと、どうちがうのか?
この点に関して私たちの間でははっきりした答えは出なかったのだが、町に対する思いの温度差によって小説は如何様にでも書けるし、書く人が町を決める(町のキャラクターを決定する)側面もあるのではないか、という話になった。「本のタイトルに合わせて商店街の名称が変わってしまった」という逸話を持つ『高円寺純情商店街』は小説が現実を動かした実例だが、小説のイメージに憧れてそのイメージに沿った人が後から集まってくる、という部分もあるかもしれない。そう考えると作品と町の関係は一方通行ではない筈だ。
最後に、この作品の手応えを訊いてみた。読み手はこの作品にリアリティを感じているのだろうか?
「読者からの反応に関してはよく分からないんですよ。『ぐれキャラ』という被り物のキャラと一緒に、高円寺フェスの前に大量に配った(1/5下部の画像参照)ので『本が段々減っていく』という過程を体験していないんです。ただチラシとちがって通行人が抵抗なく受け取ってくれたのは嬉しかったですね。
リアリティの問題は『読み手が高円寺に住んでいるかどうか』でちがって来ると思います。高円寺に住んでいない人が違和感を感じなくても、住んでいる人から『こんなの高円寺にないよ』と言われたらダメ。その辺りのことがうまくいったのかどうか知りたいですね」
*註 エトアール通りはまっすぐ西に向かって延びているので夕日が綺麗である。暖色系が似合うという高円寺のなかでも、ひときわオレンジ色が似合う場所かも知れない。(4/5へ▶▶)
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