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知られざる戦時中のアイヌと朝鮮人の交流

戦時中の北海道・道南。日本の先住民族アイヌ(※一説によると、明治以前は「アイノ」と自称していたのだが、内地から来た大和民族が「あいつらは犬畜生だ」という意味で「アイヌ」と呼ぶようになり、それが呼称として定着したという)は、強制連行された朝鮮人の脱走人夫を匿い逃がしていた。そのうち何割かはコタンの娘と夫婦になり、子をつくった。だから朝鮮人の血を引いたアイヌはとても多い……。私たちが知らなかった北海道の裏面史。

 目立った観光地がないためか、北海道・道南に広がる日高地方はお世辞にも知名度が高いとは言えない。しかし競馬好きの間では、馬産地としてつとに有名である。ダービーを制した歴代の競走馬の大半は新冠(にいかっぷ)、静内(しずない)、浦河などといった道南の海側エリアで育成されているからだ。広大な牧場がのどかに拡がる日高地方は、日本離れしていると感じる。

 異国然としているのは景観だけではない。この地域はアイヌ文化を色濃く残すエリアでもある。北海道開拓の歴史に思いを馳せるとき、アイヌ迫害の歴史を考えない訳にはいかない。

 だが、悲惨な扱いを受けていたのはアイヌだけではなかった。北海道は鉱山が多かったため、外地から徴用され強制労働を強いられた中国人や朝鮮人が大勢いたのだ。

 故郷から離れた場所で亡くなり、そのまま路傍でうち捨てられていた人たちへの悼み。強制移住や虐殺など悲しみの歴史を生きた人々への鎮魂。そんな趣旨で30年ちかくつづいているアイヌの祀りがあると聞き、現地へ足を運んだ。

「アイヌモシリ一万年祭」は一見すると、野外フェスのような印象である。参加者の顔ぶれを見回すと、近隣に住むアイヌたち以上に、ナチュラルな生き方を地でいくようなラスタやヒッピーたちの姿が目に付く。一般的なフェスティバルとの最大の違いは手作り感であろう。商売っ気がまるでないのだ。

 会場となる平取町旭はへんぴな場所だ。公共交通機関は一切なく、いちばん近いコンビニまで30キロ以上離れている。夜のとばりが降りれば、ほんものの静寂が訪れる。熊の出没地であり、常設のキャンプ場でさえない。だから商売人はいない。参加者は自ずと限られてくる。ナチュラルなものが好きな一般人や学生、若い主婦、教員、ヨガの指導者、そして風の匂いをまとったかのような髪の長い面々ら、熱心な常連参加者たちによって自主運営されているのだ。

 大掛かりな電気設備は舞台照明と PA のみ。祀りの期間中絶えることのない焚き火は魔除けの意味がある。そこにはアイヌの伝統とともに、シャーマンであり、民族の聖地である二風谷のダム反対運動に取り組んできたアシリレラ(和名:山道康子)さんのカラーが反映されている。

 第1回が行われたのは事実上昭和最後の年であった昭和63(1988)年。以来、一貫してアイヌの儀式である「カムイノミ(神事)」を幕開けに、お盆を挟んで毎年1週間にわたって行われてきた。全盛期には2千人もの若者がテントを背負って集まったという。アイヌ伝統の歌や踊り、伝統工芸のワークショップに留まらず、飛び入り歓迎のライヴやパフォーマンス、果ては大人も子供も入り乱れたパン食い競争まで出し物は盛りたくさんだ。大まかなプログラムはあるものの、流れ任せの部分も大きく、かなりののんびりムード。貫気別川の傍らで洗濯したり、昼寝をしたり、即興で演奏したり、キャンプファイヤーの薪を割ったりと、ウッドストックを思わせる平和で満ち足りた空気に包まれている。

「一万年祭」で披露されたアイヌの「バッタ踊り」

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知られざる戦時中のアイヌと朝鮮人の交流

檀原照和

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東京生まれ。横浜在住。元舞台の人。「個人事業主」とは名ばかりのライター。ルポルタージュから体験記事まで。インタビューから解説まで。著書寡数(3冊+1冊)。癒やせない系。

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