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パレスチナをめぐって――ガーシュインを聴きつつ

 今年度から教養講座としてアメリカの文化と地理についての講座を開いており、アメリカのルーツ的な音楽を聴き直しています。とりわけ、アイルランド系、ヨーロッパ系、アフリカ系がミックスしていく1920年代は細かく見ていくと複雑でまだまだ把握しきれませんが、とても刺激的です。ジャズクラブでは、フレッチャー・ヘンダーソン、デューク・エリントン、ファッツ・ウォーラーらが活躍し始め、他方、もう少しクラシック寄りのポピュラー音楽の立役者としては、アーヴィング・バーリン、ジェローム・カーン、そしてジョージ・ガーシュインなどがいます。ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」は、ポール・ホワイトマン指揮の名演があります。今年度は、このあたりのユダヤ系作曲家による音楽もよく聴きました。
 さて、ジョージ・ガーシュインの父、モイシェ・ガーシュヴィッツは、1890年に兵役を逃れるためにロシアのサンクト・ペテルブルグからアメリカに渡ったロシア系ユダヤ人です。母親のローズも同じくサンクト・ペテルブルグからの移民で、ふたりはユダヤ系移民のコミュニティ、イースト・ヴィレッジで出会いました。ガーシュインという名は、ガーシュヴィッツという名をアメリカ風に変えたものです。ふたりは1895年に結婚、ジョージは1898年に生まれています。
 ジョージの両親が結婚した同時期の1894年、フランスではドレフュス事件が起こっています。ユダヤ系フランス人のドレフュス大尉が無実にもかかわらず国家機密漏洩の罪に問われ終身刑となった事件で、フランス国に尽くしている軍人がいまだにユダヤ人として差別されたことは、ユダヤ系知識人に大きな衝撃を与えました。1896年には、ハンガリーのジャーナリスト、テオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』を上梓、シオニズム運動を提唱しました。翌年にはスイスで第1回シオニスト会議が開催、パレスチナにおけるユダヤ人国家建設が採択され、ユダヤ人によるパレスチナ入植が始まります。ただ当初、シオニズムはユダヤ人のなかでは主流的な考えではなく、敬虔なユダヤ教徒であるほど「ユダヤ教徒はシオニストではない」という考えを持っていました。ユダヤ系アメリカ人もアメリカでの社会的地位向上を目指すなかで、シオニズムとは距離を置いていたと言われています。
 シオニズムの話を書いているのは、イスラエルによるパレスチナ人の虐殺がいまだ続いているからです。現在、イスラエル人の大多数はいまだにガザへの攻撃を支持している状況です。イスラエル以外のユダヤ人においては、ガザへの攻撃に対する賛否は半々くらいだと岡真理さんが解説していました。1948年のイスラエル建国は、第二次世界大戦を終えたのち、ホロコーストに追われたヨーロッパにおけるユダヤ人の難民問題を解消する意味合いが強かったわけですが、重要だと思えるのは、イスラエル建国をめぐっては、当時のパレスチナ特別委員会が、パレスチナにおけるイスラエル建国を「国連憲章に違反している」「アラブ経済の持続が不可能である」「政治的に不正である」と結論していることです。にもかかわらず、1947年11月の国連総会でパレスチナの分割が決まり、イスラエル建国という運びとなりました。イスラエルの「独立」がアラブ人にとっての「ナクバ」(大惨事)である、ということはよく知られています。ヨーロッパにおける人種差別の犠牲者であるユダヤ人が、今度はヨーロッパ/アラブという非‐対称性のなかで帝国側として植民地支配をする、という構図だと言えます。

 その後、度重なる戦闘状態を経て、1993年にオスロ合意が締結。しかし、イスラエルによるアラブ人地域への入植は続き、2002年にはハマスがイスラエルに対して全面戦争を宣言しています。2005年に停戦されるも、2006年以降、イスラエルがガザ地区をたびたび空爆します。このあたりは自分の大学時代だったので、なんとなく講義で耳にしていました。ちょうどハマスが武装路線になっていくあたりだったかと思います。バンクシーがパレスチナに入っていったのもこの時期だったでしょうか。余談ですが、当時、パレスチニアン・ラッパーズというクルーが『クイック・ジャパン』で紹介され、ヒップホップの新たなリアリティを感じた記憶もあります。さて2006年には、民主的選挙を通じてガザ地区でハマスが勝利したものの、ハマスをテロ組織とする国際社会がこれを認めず、ガザ地区ではハマスとファタハの抗争が続きました。ハマスは、アメリカとイスラエルの支援を受けていたファタハを破り、ガザ地区の支配権を握ることになります。これを指して、ガザ地区に関しては「ハマスの実効支配」という言い方が定着していますが、民主的な選挙で勝利していたのがそもそもハマスである、ということは忘れてはいけないでしょう。その後、ガザ地区は封鎖され、テロ行為防止という名目のもと壁が築かれ、住民は自由が奪われている状況となります。言わば、「open-air prison 天井のない牢獄」です。2007年からこのかん、イスラエルとガザの攻防は頻繁におこなわれ、2014年にはイスラエル軍によるガザへの軍事侵攻がおこなわれます。450人の子どもを含む2200人以上の人々が犠牲となりました。また、2021年5月には11日間にわたってガザ空爆が続き、民間人や子どもを含む約2500人が死傷したとのことです。安全な電力・食糧・水道が確保できず、8割が貧困状態とされるガザ地区は、2019年には「人が住める場所ではない」と報告されています。2023年のハマスによるイスラエル攻撃の背景には、このようなあまりにも長い歴史的経緯があります。
 上記のパレスチナをめぐる話は、中学生の道徳の授業で話すために調べ、まとめたことです。いまでこそイスラエルがおこなっていることは「虐殺」として問題化されていますが、2023年の秋口は、「過激派」のテロ組織であるハマスに対する批判的な意見のみが主張されていた印象です。少なくとも、その点は相対化する必要があると思いました。反イスラエルのデモも続いています。岡真理さんはかつて、著書『彼女の「正しい」名前とはなにか』のなかで、スーダン難民の「虚ろなまなざし」に耐えきれずに起こった社会運動が、流行物のように盛り上がっては忘れ去られていくことを批判していました。こうやってパレスチナのことを書いていると、すでにウクライナ/ロシアや能登半島のことまでも忘れているような気がして慄然とします。複雑な経緯をできるだけ具体的に把握しつつ、自分なりに継続的に考えていきたいと思います。他人に伝えることは、その継続性のひとつのかたちではないかと思います。私はとにかく、大事だと思ったことを中学生や高校生に伝えたいと思っています。それぞれの領域でやっていくことが大事なのではないでしょうか。

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