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2000年前後のR&Bをめぐる思い出

 NFLハーフタイムショーの興奮冷めやらぬ状態です。メアリー・J・ブライジからのケンドリック・ラマー、そしてエミネム、素晴らしかったですね。もちろん、ドレーもスヌープも50セントも良かった。
 さて、先日来、星野源の番組がJ・ディラおよびディ・アンジェロを取り上げたことがきっかけで、Twitterで日本におけるネオ・ソウルの受容が議論されています。このあたりの話を眺めていたら、高校生(1999-2001)だった当時の記憶がフラッシュバックしたので、その記憶を書いておきます。このあたりは死ぬほど詳しい人がいそうですが、今回に関しては情報的な正確性よりも記憶とそのときの印象を優先で、受容側のいちサンプルとして書きたいと思います。

2000年前後の《生音》感

 メアリー・J・ブライジを筆頭とするR&B(ヒップホップ・ソウル)が変わってきているなと、僕がなんとなく感じたのは2000年前後でした。とくにローリン・ヒル『Miseducation of Lauryn Hill』(1998)のヒットを経て、どんどん《ネオ・ソウル》的な方向になっていく。もっとも、後述する音楽は《ネオ・ソウル》という枠から外れるものも多いし、そもそも《ネオ・ソウル》という言葉がいつ定着し、自分が認識したのか、ということはよく覚えていません。
 ジャンル的なパッケージングとは別に、この潮流に対してリアルタイムで僕が思ったのは、①BPMが遅い!、②コーラスが分厚い!、③アコースティックギターとか入っている!、という3点でした。この鮮烈な3点の変化はそれぞれに文脈があると思います。
 だから、当時のリスナーの感覚だと、J・ディラ~ディ・アンジェロ的なゆらぎとともに《ネオ・ソウル》があったというよりは、もっと漠然と《生音感のあるスロウでコーラスがゆたかなR&B》が出てきた、という印象でした。サウンドへの理解はあまり高くないまま、ディ・アンジェロもエリカ・バドゥもそういう一群のひとつとして聴いていました。ただ、そのなかでもディ・アンジェロとエリカ・バドゥは圧倒的に渋くて、当時の自分としては少し戸惑った記憶もあります。
 これらの一群は、場合によっては《オーガニック・ソウル》とか《ニュー・クラシック・ソウル》とか言われていた記憶があります。そのなかでディ・アンジェロとかエリカ・バドゥとかを含む《ニュー・クラシック・ソウル》は、ほとんどそのまま《ネオ・ソウル》に移行した印象。一方、《オーガニック・ソウル》はもう少しナチュラルな雰囲気を含んだ名称でした。
    これらは、僕の印象では、いかつく攻撃的になっていく当時のメインストリームのヒップホップ/R&Bに対置されるかたちで、もっとスロウで生音感のある温かい音楽を求めるリスナーに向けられていた印象でした。それこそ、ハーフタイムショーのパフォーマンスが素晴らしかったメアリー・J・ブライジの『No More Drama』(2001)とかの時期ですが、このときのシングル「Family Affair」とかは、それまでのメアリーの印象とは違って少し攻撃的な印象だったんですよね。あるいは、その後、隆盛を誇るティンバランドのサウンドとかと反対にあった印象。
 だから、くり返しますが、一般リスナーである高校生の僕の印象だと、ドラムのズラしなどといった方法論的な部分で《ネオ・ソウル》を認識していたのではなく、もっと漠然と《生音感のあるスロウでコーラスがゆたかなR&B》の一群が出てきた、という記憶です。そして、これは《ニュー・クラシック・ソウル》というネーミングにも示されているように、はっきりとニューソウルの後継とされていました。マッチョで金儲け主義的なヒップホップに対して、社会的な意識も高く音楽性も高い(とされる)ブラックミュージックとして、これらはあったような印象です。
 ちなみに言うと、個人的な印象だと、ジュラシック・5『Quality Control』(2000)ブラック・アイド・ピーズ『Bridging The Gap』(2000)あたりの西海岸アンダーグラウンドのサウンドも、この文脈で聴いていました。アレステッド・ディヴロップメントに遡れるような生音感のあるヒップホップ。個人的には、ブラウン~赤を基調にしたジャケットだと《ニュー・クラシック・ソウル》的な雰囲気である印象があって、茶色っぽいジャケを目安にチェックしていました。
 以下、さらに自分の当時の聴きかたに沿って。

BPMの遅いヒップホップ、あるいはメロディアスなヒップホップ

 BPMの遅さについては90年代から徐々にあった印象で、これはJay-DeeことJ・ディラの仕事も大きかったと思います。思い浮かぶのは、ファーサイド「She Said」(1995)「Drop」(1995、スパイク・ジョーンズの逆回しMV!)あたりか。J・ディラ仕事ではないけど、「Passing Me By」(1993)の遅いグルーヴも驚きました。そういえば、オーガニック系ではないけど、2000年にはファーサイドの「Passing Me By」をネタにしたJoe「Stutter」がありましたね。この曲のミスティカルの存在感がすごかったです。

 あとは、ザ・ルーツ「What They Do?」(1996)。これも後追いで聴いて、かなり驚きました。BPMの遅さもさることながら、クエスト・ラブのドラムのスネアの抜けた感じがすごくフレッシュで。このスネアの響きがJ・ディラのビートと共振しつつ、《ネオ・ソウル》のサウンドを支えていたのでしょう。ロバート・グラスパー「J Dillalude」まで貫くスネアの響き。

 ザ・ルーツの曲もそうですが、個人的には、サビで歌になるというのも重要な要素だったように思います。R&Bヒップホップというかメロディアスなヒップホップというか。だから、R&Bシンガーがフィーチャーされている曲はチェックしていた記憶があります。《ネオソウル》の流れでコモンに言及するならば、当然『Like Water for Chocolate』(2000)が外せないわけですが、リアルタイムの印象では、それ以上にひとつまえの『One Day It’ll All Make Sence』(1997)からの流れが大事でした。
 コモンの3作目は、ニューヨーク的なくぐもったビートだった前作『Resserection』と同様、No I.D.が多く関わっていたものの、明らかにモードが変化していました。ローリン・ヒルが参加した「Retrospect for Life」には、ザ・ルーツのキーボードでもあるジェームス・ポイザーもクレジットされていたし、さらにエリカ・バドゥが参加しザ・ルーツがプロデュースした「All Night Long」なんかもありました。「All Night Long」は完全に《ネオ・ソウル》感のあるサウンドです。こういう試みから「Thelonius」(『Like Water for Chocolate』収録)のような曲につながっていったのでしょう。

2000年前後のR&Bたち

 僕はヒップホップをよく聴いていましたが、ファーサイド、ザ・ルーツ、コモンあたりを漠然と「生音感があってメロディがあって良い感じのヒップホップ」という感じで同じカテゴリに入れていました。同じカテゴリにはスピーチもいたかな。
 本当はJ・ディラが超重要なわけですが、ファーサイドのトラックを作っている人として認識していたくらいで、あまり関心をもっていませんでした。僕にとっては、J・ディラのビートが大事だったというよりは、R&Bとヒップホップがうまく融合されていることが大事だったので。ザ・ルーツとコモンは、その意味でこそ重要な存在でした。あとは、パフ・ダディ周辺もあったけど、あのあたりはちょっとチャラい感じでした。
 僕にとってザ・ルーツやコモンが大事だったのは、サンプリング主体ではなくなって攻撃的になったように感じられた当時のヒップホップシーンにおいて、彼らが違う道を行っていたからです。もちろん同じ時期、DMXとかジャ・ルールとかも好んで聴いていたのですが、シンセサイザー色も強くなって、ちょっと大味になってきた印象はありました。そんな2000年前後には、意識的にソウルっぽい《生音感》(←キーワードだった気がする)を求めていました。
 そして、そんな僕の感覚に同時代のR&Bのほうがすごく応えてくれた気がしたんですよね。これはもう高校生の青春時代そのものという感じですが、2000年前後のそれっぽいR&B愛聴盤を思いつくままに列挙すると、以下のような感じです。

・ディ・アンジェロ『Brown Sugar』(1995)『Voodoo』(2000)
・エリカ・バドゥ『Baduism』(1997)『Mama’s Gun』(2000)
(・デズリー『Supernatural』(1998))
・ローリン・ヒル『Miseducation of Lauryn Hill』(1998)
・メアリー・J・ブライジ『Mary』(1999)
・メイシー・グレイ『Oh How Life is』(1999)『The Id』(2001)
・ミュージック・ソウルチャイルド『Aijuswanaseiing』(2000)
・ジル・スコット『Who Is Jill Scott?:Words and Sounds Vol.1』(2000)
・ルーシー・パール『Lucy Pearl』(2000)
・アンジー・ストーン『Mahogany Soul』(2001)
・アリシア・キース『Songs in a Minor』(2001)
・インディア・アリー『Acoustic Soul』(2001)
・マックスウェル『Lifetime』(2001)
・ビラル『1st Born second』(2001)
(・アッシャー『8701』(2001))
(・アリーヤ『Aaliya』(2001))
(・アシャンティ『Ashanti』(2002))

 このあたり、すごい名盤揃いですね。これらの作品は趣向はさまざまですが、どれも少なからず最初の①②③の条件が当てはまるもので、どれも好んで聴いていました。そのなかでディ・アンジェロ、エリカ・バドゥ、ローリン・ヒルの先駆性も際立ちますね。
 ちなみにアリーヤは、当時はなんとなく《ニュー・クラシック・ソウル》系の人たちと同じように聴いていたけど、ティンバランドのプロデュースになるので、いまから振り返ると少し系譜が異なるかもしれません。アシャンティもなんとなく同じように聴いていたけど、ジャ・ルールとの絡みがあってどこかメインストリームの感じもありました。まあアシャンティに関しては、デバージをサンプリングした「Foolish」がとにかく大好きだった、ということですが。デバージを使ったという点で、ジョマンダ「I Like It」の後継のように思っていました。だから、このあたりは少し例外かも。
 あと個人的に強調したい記憶としては、アッシャーのファーストを明確に《ニュー・クラシック・ソウル》的なものと並列して聴いていた、ということがあります。いま聴き直すとけっこう勘違いなんだけど、アコースティックな響きもあったし、少しだけオーガニックな雰囲気があったんですよね。ジャケもオレンジ色だったし。だから、リル・ジョンとリュダクリスをフィーチャーした「Yeah」が出たときには少しがっかりしたりもして。がっかりしつつもクラブではまんまとブチ上がったりして。でも、12インチは買わなかったなあ。

アコースティックと多重コーラスーー『Lucy Pearl』『Acoustic Soul』

 上記で個人的に特筆すべきは、まずは、ルーシー・パール『Lucy Pearl』。ルーシー・パールは、ア・トライブ・コールド・クエストを活動休止したアリ・シャヒードがラファエル・サディーク(トニ・トニ・トニ)、ドーン・ロビンソン(アン・ヴォーグ)と組んだユニット。アルバム1曲目のイントロ、ATCQ「Electric Relaxation」を一瞬引用して、そのまま歌に入っていくところとかもう素晴らしくて。シングルの「Don’t Mess with my Men」はBPM速めだけどアコギで始まるイントロが鮮烈だったし、「Dance Tonight」は多重コーラスがディ・アンジェロみたいですごいと思ったし、それらの要素をふんだんに盛り込んだ「Without You」とか名曲だと思ったし、とにかく素晴らしいアルバムでした。

 ちょうどQティップがJ・ディラと組んでソロになる頃で、あのアルバム(『Amplifide』)も良かったのですが、ゴージャスな衣装とか世界観がダサくて、ちょっと複雑な気持ちだったことを覚えています。むしろ、ATCQの精神(ソウル)を受け継いでいるのはルーシー・パールだろう、と思っていました。だから、これが『ミュージック・マガジン』の「R&Bベスト100」に入っていなかったことが、とても悔しくて。というか、その企画はぜひとも参加したかった……! とにかく、僕の記憶では2000年前後を代表する1枚でした。《ネオ・ソウル》という括りにすると抜け落ちてしまう1枚ですが、とはいえ、あの時代のR&Bのエッセンスがかなり凝縮されていると思います。
 あとは、なんと言っても驚いたのが、インディア・アリー『Acoustic Soul』。R&B的なヴォーカルなのに全編にわたってアコースティックギターが鳴らされて、初めて「Video」を聴いたときは本当に感動しました。あとは、コーラスワークが印象的な「Strength Courage & Wisdom」とか「Brown Skin」も素晴らしいですね。オーガニックな雰囲気もあるし、ルックス的にもエリカ・バドゥの系譜にあるんだろうなと思いながら聴いていました。

 ちなみに、2000年前後のアコースティックギターというのも主題としては興味深いです。TLC「No Scrubs」(1998)がアコースティックギターをブツ切りにして、のちのティンバランド的なサウンドにつながるような空間的なR&Bを示した一方で、カサンドラ・ウィルソン『Traveling Miles』(1999)がブランドン・ロスのギターをフィーチャーしていて、これがちょっと《オーガニック・ソウル》っぽいんですよね。インディア・アリーなんかはむしろ、カサンドラ・ウィルソンのほうに近しい感じがします。《ネオ・ソウル》ではなくて《オーガニック・ソウル》というふうに考えると、カサンドラ・ウィルソンとインディア・アリーのあいだにデズリーエンダンビなんかを置くと、僕の高校~大学の聴取体験とすごく重なってきます。デズリー重要。

 さらに言えば、このあたり、間接的にはジム・オルークトータスなんかもつながってくるか。淵源にはジョニ・ミッチェルがいたり、それがのちにスフィアン・スティーヴンスやあるいはホセ・ジェイムスのほうにもつながったり。

日本のR&Bシーンへの影響

 上記のような潮流は日本にもあって、R&Bというふうに大きく括ると見逃しがちだけど、やっぱり宇多田ヒカルとMISIAとbirdはそれぞれ違ったんですよね。僕が当時、MISIAとbirdが大好きで宇多田がそうでもなかったのは、ここまで書いてきたような個人的な趣向があったからです。MISIAはちょっと別格ですごかったけど、個人的にはやはりbirdのやっていた音楽がすごく同時代の感覚がありました。例えば、bird『bird』(1999)収録の、スイケンとデヴ・ラージをフィーチャーした「Realize」という曲には、デヴ・ラージの「透きとおるアコギ」というリリックの一節がありますが、アコギネタ使い(スティーヴ・パークス)のこの曲もすごくオーガニックで良かったです。あとは、「君の音が聴こえる場所へ」「雨の優しさを」の遅いテンポ感とか。

 あとは、ACO『Lady Soul』(1998)『Absolute ego』(1999)も、遅いBPMといい多重コーラスの感じといいエリカ・バドゥみたいなものを意識しているのかな、と思いました。というか、「悦びに咲く花」の内省的なトラックと陰鬱なヴォーカルはすごくて、けっこうジョニ・ミッチェル的なブルーさ。ACOは個人的にはすごいヴォーカルだと思っていて、アブストラクトなトラックも歌うし、唯一無二だと思います。

 個人的に、《ネオ・ソウル》というかディ・アンジェロ直径だと思ったのは、デフ・ジャムから出たAIのデビュー曲「最終宣告」(2001)。このリズム感とコーラスワークは完全にディ・アンジェロだと思いました。すごい人がデビューしたなあ、と。あとは、椎名純平「世界」(2001)ですね。これはもう、サウンドもヴォーカルも完全に『Voodoo』を意識していたと思います。

 日本におけるJ・ディラ的な試みは難しいのですが、ゆらぎという意味ではミツ・ザ・ビーツよりオリーヴ・オイルにJ・ディラっぽさを感じます。あとは、VA『Harlem ver.1.7』に収録されているDJマスターキー feat. Hi-Timez「Take Ya Time」(REMIX)が、スネアといいゆらぎかたといい最高にJ・ディラ感のあるトラックの名曲なのですが、その後、Hi-Timezがメジャーに駆け上がったこともあって、あまり振り返られる機会のない曲かもしれません。DJマスターキーとの「Meaning of Life」など、このときのHi-Timezは超かっこよかった。

《ネオ・ソウル》とJ・ディラの関係をひもといてジャズシーンにまで位置付けた功績として柳樂光隆センパイ監修の『Jazz The New Chapter』があって、もはやすっかりそういう目線でものを見ていますが、リアルタイムではそういうビート感とは別に、もっと漠然と雰囲気だけで聴いていました。そのような雰囲気のみでしか捉えていなかったから『Jazz The New Chapter』シリーズが衝撃だった、という話は柳樂センパイとの対談で話しています。居酒屋で話していることの延長のような対談ですが。こちらもよろしければどうぞ。

 ここ数日、いろいろな人がネオソウルについて書き込んでいるのを見て、2000年前後の記憶が急によみがえりました。

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