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近畿大学(2016年3月~2013年4月)

2013年3月で産総研を定年退職になり、近畿大学次世代基盤技術研究所に特任教授として採用された。

特任教授

次世代基盤技術研究所は、近畿大学が2018年問題(18歳の人口が減少し、学生の授業料では生き残れなくなる)に備え、「今後は世界的な研究成果を上げる」目標達成のため、2010年に設立された。
国の自動車関連の予算がついて設立され、産総研から燃焼関連の研究者の方が赴任されていた。

特任教授として3年赴任し、退職された後に私が採用された。

前任者に伺ったところ、特任教授は授業免除の約束だったが、2年目に大学院の「エネルギー特論」担当になったそうだ。

私は学科に所属していなかったので機械工学科と知能機械工学科からそれぞれ学生実験を頼まれることになった。

学生実験

当たり前のように任される


4月から学生実験を担当することになった。
「重力加速度の計測など、簡単な実験で良いから準備してください」と告げられたのが2月。学生実験の経験なし。

助け船


電気学会の委員会で、学生実験に困っている話をすると、オリエンタルモータの委員の方が「矢野さん、うちに小学生から理解できるステッピングモータの実験キットと教材があるから、実験キット12組と教本100冊、消耗品100セット無償で用意しますよ。」と助けて下さった。
3年に亘って支援していただいた。

驚異的な盛り上がり


半年の学生80人を40人2クラス、各クラス10グループに分け、さらにモータのトルク-回転速度特性測定実験用にばねばかり10本とたこ糸を用意した。
ばねばかりとたこ糸があれば、「張力差動型トルクセンサ」を構築できる。

小学生から学べるように、実験は消耗品の五寸釘にエナメル線を500回巻いて電池と接続し、電磁石を構成するところから始まる。

電磁石でゼムクリップを吸着する実験で、室内が大歓声の渦に包まれた。
「おおっ、すげえ!」
何事かとみたら、ゼムクリップを1個でも多くつながるようにがんばる学生、五寸釘の両端にかかるアーチ状のゼムクリップの橋ができたと大喜びしている学生・・・

小・中・高校を通して理科の実験はなかったのか?と驚いた出来事だった

LINE


実験は4人一組だが、装置の写真も撮らないし、データも記録しない学生がいる。「レポートどうするんだ」と聞いたら、「先生、LINEで写真もエクセルファイルも共有してるから大丈夫です」と返事が返ってきた

スマホゲーム


実験の説明中にゲームで遊んでいる学生がいた。見ると「パズドラ」をしている。「きみ、パズドラやめなさい!」と注意すると「えっ、なんでパズドラ知ってるんですか!」と驚いてやめた。

さらに、
「ゲームは、無課金だとすぐにゲージがカラになってたまるまで待つ。満タンでほおっておくと損した気分になるから満タン近くを見計らって再開する。こうしてゲームに時間管理され、ゲーム中心に生活が回るようになるからよろしくない」と諭したら、
「先生、ぼく、ゲーム7つ並行して進めてるんで、常にゲージ満タン近くで回転してるから心配入りません」と返された

大学院の授業「エネルギー科学関連特別講義」

講義スライド


前任者から「エネルギー特論」を引き継ぐことになり、スライド一式をいただいた。

スライドは、水力、風力、火力、原子力とエネルギー供給側、製造、家庭用、運輸などの消費側、そして最後に前任者の専門分野の自動車の燃費で終わる。

公的機関の報告書から取ってきた膨大なグラフや表で毎回50ページほどの分量だ

講義内容刷新


2015年9月にMDGsが終了して後継のSDGsがスタートしたところだったので、これを組み入れることにした。

受講生は6人なので、後半6回は「SDGsの興味ある項目」および「自分の研究はSDGsのどの項目に貢献するか」のプレゼンとした。

これにより、私はSDGsをより深く理解できるし、学生はSDGsの目標を意識することにより自分の研究内容を見つめ直すという「ウインウイン」の授業内容を構築できた。

優秀な大学院生

調査・プレゼン形式の授業が成立したのは、受講生が優秀だったことが大きい

入学直後の近畿大学生は、第一志望校に落ちて近畿大学に入学した成績上位グループと、第一志望で合格した成績下位グループの二山グラフになる。

さらに、第一志望に落ちた学生にとって授業内容がやさしすぎるため、やる気をなくす学生がドロップアウトしていく。

いっぽう、少数だがドロップアウトせず、大学院に進学する学生がいる。

この時の学生のスライドは、日本機械学会ロードマップ委員会における「SDGsを意識したロードマップ作成」に大いに役立っている

機械システム創成演習

講義の名前は仰々しいが、「C」言語の演習である。3人の教授陣で100人の生徒が作ったCプログラムをチェックする。

授業の初めに「テキスト1章分」の内容を解説し、演習問題を解くプログラムを作成する。最後に模範プログラムを示して終了となる。

プログラム作成時間になると、あちらこちらと、生徒から手が上がる。手を上げた生徒のところに行き、バグだしを行う。これがなかなかおもしろい。

考えられるありとあらゆるバグが見つかるのだ。禁止されている全角文字を使用したり、定義域外の引数を読みに行ったり、びっくりの連続である。
しゃれたプログラムを走らせる生徒もたまにいる。

10年ぶりの「C」言語は、若干手続きが変わっているくらいだった。

プログラム演習は、我々が担当した「C」の他に「Office」や「Inventor」もあり、それぞれマイクロソフトとAutodeskの社員が講師を務めていた。

3Dプリンタブーム

産総研を退職して新たな勤務先となった近畿大学次世代基盤技術研究所

私が近畿大学に採用された2013年、世は3Dプリンタブームで、家電量販店の一番目立つコーナーに3Dプリンタがならび、DMMが3Dプリントサービスを開始し、東大の生田幸士教授の研究室には、学生が3Dプリンタで作成した作品が所狭しと飾られていた。

次世代基盤技術研究所では京極秀樹教授(当時工学部長)が「次世代型産業用3Dプリンタの造形技術開発・実用化事業」のプロジェクトリーダをされていた。1階に最新の金属3Dプリンタが設置され、ドイツに周回遅れの状況を打破すべく奮闘されていた。

当時は「時代は3Dプリンタ。金属3Dプリンタを導入できない中小企業は淘汰される」雰囲気が漂っていた。
ネットにはフィギュアなどの3Dデータが飛び交い、フィギュア造形師は失業かなどと言われ、「ろくでなし子」さんが自身の女性器データを公開して裁判沙汰に発展する騒動も起きた。

しかしながら、なぜか現在ブームは去って深く静かに進展している状況だ。

プロジェクトの成果は「技術研究組合次世代3D積層造形技術総合開発機構」に引き継がれ、京極先生は今もリーダーとして活躍しておられる

私は、その「何にでも首を突っ込む性格」から金属3Dプリンタの技術職員の方と親しくなり、メンテナンスがものすごくたいへんなことを教えていただいたりした。

TwitterのTLに時たま流れてくる3Dプリンタ関連の情報に触れると懐かしささえ感じる昨今です


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