随筆#1 ビターな年末
クリスマスが近づくと、去年のこの時期は妻がアデノウィルスにかかり、僕と1歳の子供で2日くらい過ごした事を思い出す。
コロナウイルスやら色んな事が絡みに絡んで、子供と二人きりで過ごすことがなかったのでかなりドキドキしていた。
こんな事を思い出すという事は、今年もそんな事が起こったという事だ。
今週の水曜日に子供が保育園で嘔吐。胃腸炎を発症した。
幸いな事に妻が仕事を休んでくれて色んな対応をしてくれた。
元々18日にトーマスランドに行こうとしていたが体調を崩したので断念。
さらに私が仕事で少しメンタルブレイクしたので、半ば遺書のようなメールを会社に残す。もうどうにでもなれと言いながらまたトーマスランド行こうねって話を金曜日の夜にした。
妻の仕事が多忙なので、土曜日はみんなでゆっくり遊ぼうって話をしてみんなで就寝。
その夜中、1時ごろに妻が嘔吐し体調を激しく崩した。
子供の胃腸炎が伝染した。
大事には至らなかったが去年のこの時期の再来である。
休日子供と二人きりで過ごすことになった。
交代勤務で休みが変動している私なので、子供と過ごす時間はあっても二人きりはなかなかチャンスがない。1歳の時の去年よりも行動範囲や広くなったりちゃんと歩けるようになったり、同じものを同じように共有できるのでとても楽しい。
大好きなバスに乗って駿河屋本店でトミカ爆漁りと新幹線で縦ノリでもしようかなって思ったが、胃腸炎になった事を忘れてたのでおとなしく東静岡駅の公園で遊んで電車鑑賞。
帰りにアピタでトミカを買ってあげた。マツダ3がカッコよかったので個人的に買って、子供にこの車カッコよくない?って言っても何も言ってくれなかった。挙句の果てに赤い普通の車と言われた。なかなか辛口である。
帰宅後に義母から大量の食糧をもらい二人でむしゃむしゃ食べる。
唐揚げ食べたいとごねたので少し分けると全然食べなかった。
眠そうなので寝かしつけドライブに行ったら一瞬で寝た。草。
息子が昼寝から起きたので、りんごとポテトを食べさせている間に妻帰宅。誕生日が近い妻にブーケ渡して試合終了。今年の一大イベントはマジで平和だった。
平和は平和だけど、今年はあんまりうまくいかなかった年だった。
妻の仕事がうまくいかなかったり、僕の仕事もうまくいかなかったり。
子供は保育園のカレーを二ヶ月連続で食べ損ねたりしていた。
皆が健康だからそれだけが救いだね、とほほ笑む妻に本当だねと頷くしかなかった。また、後戻りできないくらいのミスをしたわけでもない。何かしらの成長痛かもしれない。
どんな不幸からも喜びを拾い上げ笑って暮らす才能を誰もが持ってるとミスチルも歌うのでそれに従う方が賢明である。
しかし、この感じを味で表現するならビターがぴったりかもしれない。
少しだけ心洗われる瞬間もあれば、苦しくなる瞬間もある。
現状を自分の力だけで打開できる状況でもなく、時が解決しそうにもない。
どうすればいいのかな~と思いつつ現実を生きている状態。
こういう時、生きている事を少しだけ実感する。
何もかも上手くいく破竹な勢いは酔っている状態で、ダメダメな人生は自分を責めすぎている。ちょっと良くて、ちょっと悪い。
反省できる事もあって、誇れる事もある。
勤勉に生きている瞬間もあれば、怠惰に生きている永遠もある。
話は変わるが、自分のやりたい事を仕事にできている人はこの世にどれくらいいるのだろう。
私の父は、祖父の時代に立ち上げた水道屋の看板をそのまま引き継いでいる。しかし、父はその仕事はあまりやりたくなかったらしい。
就職の時に、柳には自分の好きな仕事で生きてほしいと言われたことがある。そこから私の苦悩は始まってしまったのかもしれない。
あまり優秀ではない私は仕事を何個も変え、適応障害になったりフリーターをしたり派遣社員で働いていたり。自由にふらふらしていた。
結婚を機に今の職場に就職してなんとか食らいついていこうと思ったのだが、仕事にのめりこむ事は出来なかった。
今の職場でコミュニケーションミスが発生し、頭に少しだけ転職の二文字がよぎったときにはっとした。自分のやりたい仕事、または向いている仕事って何があるんだろう。と。
自己分析をしても、不向きな仕事は想像がつくのだが向いている仕事は何も想像がつかない。挙句の果てにはやりたい仕事も想像が出来ないのだ。
いくつか譲って、今の仕事に何かしらのやりがいが存在するのか。と言われてもあまり存在しないのだ。仕事を淡白にこなしすぎていた。
物事に興味が無いというわけではない。楽しそうな事はなんでも消費してきたのだが、仕事と言われると眼を合わせるのがつらくなる。
もしかしたら興味がある事が多いが、興味が無い事も多いのかもしれない。
自分自身を自分の主観で俯瞰しても何とも使いにくい社会人の自分がいるのだ。
もちろん、この記事を読んでいる方もやりたい仕事で向いている仕事で何かしらのやりがいを獲得出来ていない人も存在するし、どれかが欠けているだけの人もいるだろう。
自分がどのように社会に価値を還元すればいいのだろう。
身を差し出してまで獲得したい労働とは何だろうと考えてもよくわからないのだ。
もう少しだけ何も考えない人生でもよかったのかもしれない。
自分の価値を自問自答しても、その答えは相手依存なのだから見つかるわけがない。しかし、社会は自分の価値を自分の主観で俯瞰した人が上手くいく。
こんな世の中・・・おっと、思考回路までビターになってしまった。
ルピシアで勝ったジングルベルで頭をリフレッシュした方がよさそうだ。
反省できる事はすぐ見つかるので、誇れる事を少しだけ探そう。
この随筆は、その一つになれるように。少しでもビターな人生に戻れるように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?