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思考は自由。価値観も自由。

いろいろな人間がいて、
いろいろな価値観が広がている。

小さい子が集う場所は、とても開放的で、価値観が広がっているように見える。
学びの場所ともなれば、狭く閉ざされていて、価値観や視野を狭められているように見える。
私自身あまり学校というものが好きではないから、これもまた偏見。

ただ、学校というものは、なぜああも、皆が一緒でなければ異端と言われるのか?
合わせることが、美徳なのか?
ある程度の合わせることは、必要だと思う。
それを超えてしまえば、価値観や視野もあったもんじゃない。
つまらない価値観を植え付けられる。

いじめなんて、良い例だ。
皆が皆、一緒。赤と言ったら赤。
自分を作らず、合わせることだけを作った環境に、人間は飽き飽きする。
飽きるから、別の遊びを思いつく。どびっきりワイルドで快感を得られる人間という遊びに。


小さいころから大学のように、自分で授業を組ませるのも面白い。
国数社理英だけではなく、総合や道徳、体育も選択制にし、給食も食堂へと変え、自分自身で選択していくのはどうだろうか?
小さいころから、自分で考えることをさせれば、いじめをする暇も無くなるのでは?
だって、自分で考えて授業を取り、成果を出さねば親に怒られるのだから。もう少し必死になるのでは?
……なかなか、しびやな結果である。

理想と現実は違うし、将来どうなるかもわからない。
考えて、想像するだけは、自由。
思考は自由なのだ。

でも、自由な学校も悪くはない、と思うのだけど。

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