vol.21 会計で考える東証のPBR改革
はじめに
2024年1月15日、東京証券取引所 (「東証」) は「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」に関する開示企業一覧表を公表しました。東証はこの一覧表を毎月更新する予定としています。
また、2024年1月17日には第14回「市場区分の見直しに関するフォローアップ会議」が開催されています。この会議で用いられた資料3 (「資料3」) には以下のフレームワーク (3ステップ) が示されています。
今後「I.現状分析・評価」、「II. 取組みの検討・開示」及び「III. 株主・投資者との対話」の各ステップにおける好事例も公表していく方針とのことです。
さて、東証による2024年1月15日及び1月17日の動きは、今まで推し進めてきたPBR改革を一層加速させると共に、市場関係者の行動へ少なからず影響を与えることが予想されます。
そこで今回は、会計で考える東証のPBR改革ということで、本PBR改革の影響を会計的に整理していこうと思います。
貸借対照表で全体を俯瞰してみよう
まず会計の基本である貸借対照表に立ち戻り、株式市場全体を俯瞰していきます。
(1) 例えば老後の為に少しでも資産を増やすべく、ある国民 (投資者)が新しいNISAを始め、株式へ投資します。
(2) 良いビジネスチャンスがあり資金の欲しい経営者は、投資者から集めた資金を様々な資産へ振り分け、事業を展開し、利益の獲得を重ね、企業の資産を増やします。
(3) 増やした資産のうち一部を投資者へ配当します。
以下では「投資者」、「経営者」及び「会計士」、それぞれの目線で本PBR改革を再解釈してみます。
投資者の目線
東証の資料3を見ると以下のように投資者目線が強調されています。
貸借対照表でいう投資者側、つまり貸方側を二つのシナリオと共にもう少し深掘りしてみます。
シナリオ1 - 投資者の期待を上回るケース
投資者は8% (よく言われる目標ROE 8%との整合性を考えてみてください) で回って欲しいと考え投資を行ったとします。
シナリオ1では経営者の頑張りもあり、結果10の配当が還元されました。このような経営者の元には自分のお金も回して欲しいという他の投資者が集まってくるので、貸方 (時価)が上昇していきます。この状況 (投資者の期待を上回る) が、いわゆるPBR 1超 (シナリオ1では PBR 1.25 = 125 ÷ 100) ということになります。
ここで、上昇した時価125に8%を乗ずると配当10となる点に留意してください。還元される金額 (ここでは配当) が固定されると、期待利回りと整合すべく、市場を通じ時価が調整されるということです。
さてもう一つのシナリオも見てみましょう。
シナリオ2 -投資者の期待を下回るケース
シナリオ2では事業環境が芳しくなく、結果4しか配当が還元されませんでした。このような場合、投資者はもっと資産を増やしてくれそうな他の経営者を探しますので、貸方 (時価)が下落していきます。この状況 (投資者の期待を下回る) が、いわゆるPBR 1割れ (シナリオ2では PBR 0.5 = 50 ÷ 100) ということになります。
こちらも、下落した時価50に8%を乗ずると配当4となる点に留意してください。
まとめ - 投資者の目線
ここでは2つのシナリオを通じ投資者の期待によって時価やPBRが変化するというメカニズムをご理解いただければと思います。
丁度2024年から新しいNISAが始まり、投資にあたってどれくらいの利回りが期待できるのかを検討されているかもしれません。
eMAXIS Slim 国内株式 (TOPIX)の平均利回り (5年)は12.19%となっているので過去実績は結構高いですね。ただ米国株式 (S&P500)の平均利回り (5年)は21.34%ともっと高い。まことしやかにささやかれている外貨流出がちょっと心配ではあります。
さて、シナリオで用いた8%という数値は理解に資するべく暫定的に置いたものであり、理論上は上記のような市場環境に加え、事業の内容及び資金調達内容 (e.g. 株式と銀行借入) の割合等によって変わってきます。
では経営者はどうすれば投資者の期待を把握し、これを上回ることができるでしょうか? 次のセクションでは経営者の目線に移ります。
経営者の目線
貸借対照表でいう経営者側、つまり借方側を見てみましょう。この際、東証の資料3のフレームワーク (I.現状分析・評価、II. 取組みの検討・開示、III. 株主・投資者との対話) と関連付けてみます。
I. 現状分析・評価
経営者は投資者がどれくらいのリターン (i.e. 配当) を求めているか、その期待利回りを考えます。これは経営者目線からすると企業からの支払い (つまりコスト) になるので、いわゆる資本コストを把握することになります。
目標ROE 8%というのはこの資本コストと関連しています。
目標ROE8%の先にある具体的な資本コストの把握方法について、東証の資料3には様々なコンテンツが提供されています。
II. 取組みの検討・開示
経営者は投資者の期待を上回るべく、運転資本及び有形・無形資産へと経営資源を展開し、リスクをとりにいきます。
世の中に必ず8%の利回りを獲得できるような事業など存在しない一方で、国全体で分散しながらもリスクを取っていかないと国富 (i.e. GDP) は増えません。貸借対照表に現預金を溜め込んでいても資産は増えないので、経営者は適切にリスクをとるべく経営資源の適切な配分を実施することが期待されています。
なお、昨今の経済環境を踏まえると、より高いリターンを生み出すべく無形資産 (i.e. デジタル投資や人的投資) へ投資すべき、という点は最近の日経の記事でも触れられています。
III. 株主・投資者との対話
リスクをとった結果、事業が上手くいけば企業の資産は増える。大変な仕事ですし、その分適切な役員報酬をもらえば良い。逆に上手くいかなくてもあくまでそれは結果論となります。
世の中に必ず8%の利回りを獲得できるような事業など存在しない一方で、国全体で分散しながらもリスクを取っていかないと国富 (i.e. GDP) は増えません。適切なリスクをとること自体は正当化されるべきです。
要は経営者自らきちんと説明責任を果たす (経営陣・取締役会が主体的に株主・投資者との建設的な対話を行う) ことががポイントとなります。
まとめ - 経営者の目線
「うちは利益を出しているのに株価やPBRが低い」という声を聞くことがあります。ここで「I.現状分析・評価」、「II. 取組みの検討・開示」及び「III. 株主・投資者との対話」の各ステップを見ると、利益を出すのみではなく (これだけでも大変ですが・・・) 、投資者目線や投資者との対話を今まで以上に意識し、リスクをとって貸借対照表の借方を入れ替え、資産効率を高めていくことが求められている(損益計算書重視から貸借対照表重視) と言えます。
では経営者のとったリスクに対し、会計士はどのように対応すべきなのでしょうか? 次のセクションでは会計士の目線に移ります。
会計士の目線
投資リスクに関する考えが色濃く反映された会計基準があります。何か分かりますか?
固定資産の減損会計
表題の通り「固定資産の減損会計」です。
経営者はリスクをとって経営資源へと配分を行うのですが、一定の収益性が最早獲得できないと判断した際、これを減損損失として計上することとなります。つまり投資の失敗です。
減損会計は非常に難解であることに加え、減損損失も多額になりがちなので、会計監査を行なっていると本当によくもめます。しかしながら新しいNISAで個人のリスクマネーが市場に流入し、東証のPBR改革により経営者がより貸借対照表の資産構成を見直すことになると、減損会計の重要性は増していくことになるでしょう。
投資者の期待する利回りが高まる結果、減損会計で用いる割引率に影響があるかもしれません。
なお、日本基準ではあまり意識されないですが、国際財務報告基準に以下のパラグラフがあります。
PBRが1を割っているのであれば、資産の減損を慎重に検討しなさい、ということになります。
まとめ - 会計士の目線
経営者がリスクをとる以上、会計士はリスクを適切に評価し、監査に反映させなければなりません。今回のPBR改革は監査基準自体を変えるものではありませんが、経営者はより投資者の期待利回りを超えるべく、リスクをとって新製品・新サービスへの投資を行い、合わせて新たなインセンティブ設計するケースも増えてくるのではと想定されます。
これを受け、会計士は従来以上に被監査会社の環境を理解の上、リスク評価を実施することが求められます。
固定資産の減損会計は本PBR改革により最も影響を受けうるものの一つかと思われますが、新規参入した事業のプレッシャーに対する売上等、会計士は他のエリアにも注意を払う必要が出てくる機会が増えてくる可能性があります。
今まで以上に経営者とコミュニケーションを密にし、被監査会社を理解の上、きめ細やかな監査計画の策定と見直しが求められてくるでしょう。
おわりに
この記事を通じて、会計士として貸借対照表を用い東証のPBR改革を整理してみましたが、いかがでしたでしょうか?
日本では、少子高齢化と共に年金制度は実質的に破綻しつつあり、国民自ら老後の資産形成を行なっていく気運は増すばかりです。
政府も、2024年から始まった新しいNISAやiDeCoなど、国民の資産形成を後押ししており、今後投資対象によってどれくらい利回りが望ましいのかについて理解が広まっていくでしょう。
このような環境の下、東証のPBR改革は、投資者の期待する利回りを経営者側に意識させ、果敢にリスクをとり、ひいては日本全体のGDPや生産性の底上げに帰するものと考えます。
会計士は、経営者がとったリスクに対し、困難な状況に直面することが増えるかもしれませんが、適切なリスク評価を実施の上、市場が安心して取引ができるような高品質な監査への取り組みが継続するものと思われます。
最後となりますが、東証は今後一覧表の月次アップデートや個別企業の事例分析を行うとのことであり、この改革が日本の株式市場にどのような変化をもたらすか、期待と共に見守っていきましょう。
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