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海のそばの部屋

新しい住まいに越してきて5日。すぐに仕事が始まったから、心に余裕がなくて。今日やっとキッチンのコンロに火を着け、いつもの味噌汁を作った。かけている音楽が心地よい。久しぶりに、心と生活を整える。そしてふと、ベランダの向こうに目をやると、ここからは海が見える。


新しい住まいは、海が見える部屋なのだ。「海が見える」たったそれだけで、この地での日々に味方を見つけたような気分だ。

小さな島の出身である私にとって、海は幼い頃から身近な存在だ。10代の頃の複雑で些細で深刻な悩みはいつも、潮風と波の音がずっと遠くへ追いやってくれた。朝と夕方、もしくは夜、毎日2回海を眺めて、波の様々な表情を見た。きっと海のこんな表情、誰も知らないんだろうな、そんなことを考えながら。きっとあの頃の私にとって、未来は海のように無限大で、自由だった。


いろんな海を知っている。そういえば、小学生のとき、海でゴーグルを無くしたことがあった。同級生の男の子が、一生懸命探してくれた。海で探し物をするなんて絶対に、不可能なのにね。


あの時の海は、深く暗い色をしていた。探し物なんて見つからない、ゴーグルも彼も飲み込んで、全部隠してしまう紺。オーストラリアの海は、空と同じ広い青。フィリピンの秘境の海は絵の具を溶かしたような緑。マニラの海は、真っ黒。ただ、たった1日、あの日のマニラの海は、夕日に染まる橙だった。


いま、ベランダの向こうに広がる海は、何色に見えるだろうか。


数えきれないほど海を知っている。一人でみた海、誰かとみた海。海は刻々と表情を変え、色を変える。海は毎日違って見える。

それなのに、私の知っている色と形容詞だけで海のいろを表そうとすることの、なんと愚かなことか。

海のそばの部屋で、私の新しい仕事とまわりとの関係と、そして、私の言葉に向き合う日々が、始まりました。

海の色をじょうずに表現できるようになったら、またの機会に、海への思いを綴ってみたいと思います。

#エッセイ #日記 #短いお話

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