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なにかひとつに詳しくなりたい

わたしは何もかも中途半端である。好きなものや興味のあることは人並みか少し多いくらい持っているが、深さが、中途半端である。

ミスチルが好きなあの子のお母さんという記事でも書いたのだが、映画もファッションも旅行も、大好きだが胸を張って主張できない。わたしなんかより愛も知識も深いような人に否定されたら、それこそ中途半端ながらに持っている愛と知識を奪われてしまうみたいで、きっと立ち直れないからだ。


いつからだろう、高校生くらいのときにはもう、なにかひとつに詳しくなりたいと考えていた。ただ、その度に自分よりも"すごく"見える人を見つけては、無理かもしれない、と思った。


詳しくなりたいがモチベーションではだめ


でも、なにかひとつに詳しくなりたい、というモチベーションで求道するのは少しズレている気がしていた。本当に好きで好きで知りたいし深めたい!という、好きから湧き上がってくるモチベーションでその道を求めるのが自然な流れだと思うのだ。


好き、ってみつかるの?

本当に好きなことを見つけるのは難しい。だからこそ、今のわたしの"中途半端な愛と知識"でもいいから、いろんなものに触れる必要があるのかもしれない。そんななかで、これ!というひとつを見つけられたらいいのだが。見つけられないうちは、ずーっと、焦りみたいなものがあるのだと思う。それは、趣味かもしれないし天職といわれるものなのかもしれない。そんなものこの世に存在するのだろうかと思いながら、いつかは見つけたい、もしくはつくりだしたいという焦りみたいなものが、ずっとある。


好きなことのみつけかたみたいな本も、読んだけれど、イマイチぴんとこないのはなぜだろう。今の人生が充実していないわけではないし、そこそこ幸せだ。きっと、このくらいの幸せでとどまっておくことさえ贅沢なことなのだ。だが、何か物足りない、という気持ちがずっとある。やっぱりわたしは、胸を張ってこれだと言えるなにかひとつを見つけたいのだ。


好き、をみつけたそのあと


もうかれこれ10年くらいこのテーマについて考えているのだから、これに関わるようなことしかないだろうな、と自分のなかでなんとなく見つかりつつはある。ただ、みつけたそのあと愛と知識を深めるための環境が整っていないとどうしようもないことにも気がついている。

環境とは、好きなことと一生付き合っていくための、手段と時間とお金だ。特に時間は最大のネック。好きを追い求めたくても時間がないなんて、ほんとカッコ悪い。やんなっちゃう。だからまずは、一歩一歩、好きを追い求める時間を作るための努力をしていきたいと思う。いつかではなく、このときまでにと決めて、動き出すのだ。


人は死に向かって歩いている。今この記事を書いている一分一秒でさえも。そのことを忘れないで、悲観せず歩いていこう。

読んでくださってありがとうございます!

可菜

#エッセイ #日記

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