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目がいいね、と褒められた話

これは決して、目が二重でぱっちりして可愛いね、と褒められた話ではない。まぁ、もしそんな風に褒められたら嬉しいかもしれないが、こうやって文章を書くほど記憶にも残らないだろう。

これは、小学六年生の時、担任の先生にもらった言葉だ。怒られたことならたくさん覚えているけれど、この他に褒められたことは覚えていない。こんなありふれた言葉なのに、なぜそれだけは覚えているのかっていう話。


容姿を褒められたわけではない


褒められたのは、書初め大会の時。書き終わった私に、先生が、習字、習ってたの?と聞いてきた。習ってません、と答えると、そうか、でも上手やね、じゃあ可菜ちゃんは目がいいんやね、と褒めてくれたのだ。

もちろん、習字を習っている妹よりは下手だと自覚していたし、絵を描くのは好きで得意だと思っていたけど字を書くことに関してはとくに何も思っていなかった。むしろ、止めとかはねとかよく分かんないし、筆あげちゃダメとか、もうそれ勢いやん、2文字目失敗したら綺麗な1文字目も水の泡やん、習字めんどくさっ、と思っていた。


それだから、上手やね、と言われても、別に…お世辞はいらん…と思ってしまうところが、どっこい、目がいいんやね、と褒められてしまった。あれ?嬉しい。すごく嬉しかった。


それから今でもこの言葉を、たま〜に、思い出す。手先が器用だからできたのかなと思うようなことでも、わたしは目がいいからできたかも、って思ったりしている。わたし、視力はめちゃくちゃ悪いんだけどね。そして、先生の意味する"目がいい"ってどういうことか、きちんと言語化できないんだけどね。


人の記憶に残る褒め方とは

上手な褒め方って、難しい。すみません、上手な褒め方についての記事ではありません。難しいって話。

容姿を褒めるのは、記憶に残らないって話でもありません。わたしはすごく広い肩幅を気にしているから、それについて触れられると地雷がドッカンって感じなのだが、フィリピンで、可菜は肩がめっちゃ綺麗、モデルみたいな肩してる!って言われたときはめちゃくちゃ嬉しかった。地雷も踏み方によるのかぁ。

褒めるときって、気に入られようとして当たり障りなく容姿を褒めたり、相手をよいしょして持ち上げたり、そんなのは響かないんじゃないかと思う。心からそう思っている人の言葉だからこそ、響くんだと思う。

先生も、たかが習字くらいで、"目がいい"と思ったんじゃないだろう。担任として毎日わたしのことを見てくれていて、ふと、この子にはそういう才能みたいなのがあるんだな、と思って言葉にしてくれたのだろう。

フィリピンの友人も、わたしに気に入られたいならもっと別のところ褒めるべきだろうに、わたしが気にしているこの広い肩がいいなって、思っちゃったんだろうね。でも、ありがとう。自信が持てたよ。


そんな感じだから、わたしも、人を褒めるときはなるべくお世辞を言わないようにしようと思う。上手な褒め方がわからないから、え?そこ?って思われるかもしれないけれど、わたしが心から思ったことを伝えよう。この人のこの目は嘘ついてないかも、本気で思ってくれてるんだな、変なの、って記憶に残ってくれれば、それはそれで素晴らしいことだから。

読んでくださってありがとうございます。

可菜

#エッセイ #日記




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✍️無理せず飾らず取り繕わない、旅・人間関係・容姿について / 「あなたにとって、わたしも異文化。」/ 紀行文→旅(主にアジア)
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