書くのが苦手、をさかのぼる
「あらすじじゃなくてどんな気持ちになったかを書くんだよ」
毎年、夏休みの宿題で読書感想文があった。この言葉を毎年のように言われて、なんのこっちゃなあと思っていた。だって、読んで思ったことを書くのが感想文だと言われたからその通りに書いたのに。説明しなきゃなんないでしょう?
主人公はこういう人で、こういうことがあって、そのときこれがこう…こうこう、こうで…そしてこうなりました。私はこう思いました。
どの場面で何を思ったかを説明するにはこの書き方になってしまう。こんな風に、内容はほぼあらすじ。つけたしの感想が一文。先生としては、私はこう思いましたのところを膨らませて書いてくれよって感じだったと思う。
結局、同じようなことを繰り返した気がする。小学6年生の時にちゃんと「感想文」が書けたかどうかの記憶はない。この頃から、文章を書くのが苦手だという意識がある。
当時、勉強は好きだった。感受性も豊かな方だったと思うし、本を読んで何も感じなかったわけではなかったはずだ。ただ、先生の言う読書感想文の書き方がわからなかった。わたしの感情を文章に表すなんて。いちいち説明しなきゃなんないのが面倒だった。
いつのまにか自分は文章を書くのが苦手なんだと思うようになった。
その後、読書感想文が宿題に出なくなってからは人に見せる文章を書いた記憶がないし、その苦手を克服する機会もないまま大学生になった。
大学の課題といえばほぼレポート。
文献を読んで、あるいは調査を行い、自分の言葉でまとめる。テストに比べて簡単で楽そうに見えるレポートは、コピぺをしない真面目なわたしには難しかった。薄っぺらいレポートが出来上がっていくのが嫌だった。
これ、自分の言葉で、伝わるようにまとめなきゃなんないのか!!一番大事な力ってこれだったんだよなあとショックを受けた。
出された問題を解くこと、英単語や歴史上の出来事を暗記すること、高校時代はそれが大事だと思って一生懸命練習問題を解いたし、何回も書いて口に出して覚えた。
でも、それって自分で考えるため、自分の意見を持つための材料であって、わたしはこう思いますって自分の意見を言えなきゃいけない。それを文章にしなきゃいけない。
そんな当たり前のことに気づいたのが衝撃だった。
文章を書くのが苦手だと思っていたのは、日本語の扱い方とか、文章の構成とかのじょうず下手、 もちろんそういう要素もあるんだけど、
自分はどういう人間で
自分はどんな意見を持っているのか、
それはなぜなのか
それがうまく言葉にできなかったからだと思う。そして、言葉にできるほど自分に自信がなかった。
だから、書くということに興味はあっても、
自分の書くなにかが面白いわけがないとか、うまく伝わらないかもしれないとか、怖くてできなかった。
怖いだけならやってみればいい
怖いからやらないという、まあまあダサい理由だというのがわかったところで、 だったらいつまでも逃げてないでやってみようよという話。
小学校時代まで記憶をさかのぼってみたわけだが、 意外にこの頃のなにかが今に影響を及ぼしているんだなあという気づきも、この記事を書いててあったわけだ。
文章を書くとは、誰のためでもなく、自分のためなんよなぁ。と思う。
そしてたまに、あの人に向けて書いてみる。身近な人かもしれないし、しばらく会っていない大好きなあの子に向けてかもしれない。そう思うと怖くてもできそうな気がしている。
できそうって思える自信をくれた出来事があったけど、長くなりすぎるからまた今度。ちょうどいいが分からないけれど、続けていく中で分かってくるといいなと思っています。
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