相楽神社に天皇の后になる丹後4姉妹の悲しいお話しがある【京都】
相楽と書いて「そうらく」と読むのだが、神社は『さがなか』と読む。ちなみに、ここ周辺は「相楽郡」である。
この神社名は古事記の一説から来ている。古事記の垂仁天皇の箇所によると丹波出身の4人の姉妹が垂仁天皇に嫁いだのだが、綺麗でなかった2人を里に送り返した。2人の内の1人である「円野比売命(まとのひめのみこと)」は里に戻る途中、山城国の相楽に入った時に「同じ姉妹の中で醜いという理由で返された事は、きっと近所で噂になる・・・なんと恥ずかしい事なのでしょう」と木の枝に取り懸がって(