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01-1.京都

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京都神社仏閣
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2021年8月の記事一覧

唯一無二!九体阿弥陀如来坐像@国宝「浄瑠璃寺」国宝祭り&仏像寺-【京都南山城シリーズ】

京都と奈良の境である京都・木津川市にある名刹!日本で唯一残り、国宝である「九体阿弥陀如来坐像」や「四天王立像」など仏像の宝庫! 変更履歴 2023/07/15 なら博「南山城展」開催でブラッシュアップ(「2023/07/15更新」でページ検索) 2022/07/14 更新(「2022/07/14更新」で検索) 2022/04/16 不動明王立像及び二童子像@全部重文更新 2022/03/20 動画リンク 2021/09/24 誤記修正(寺のところ時となっている)

若狭の仏像 快慶作「地蔵菩薩像@重文」を持つ如意寺/由良神社【京都】

 快慶作「身代地蔵菩薩像@重文」が安置されている。そして、次に紹介する金剛院、松尾寺にも快慶作があり、中山寺には珍しくて素晴らしい馬頭観音座像@慶派がある。  この良質の仏像たちが集まっているのは、東大寺・お水取りに繋がりの強い神社仏閣が若狭にあるからか。なぜ若狭なのかというと、奈良の荘園だったからであり、御食国だからだろうか。古都の人達は「若狭ハンパない!美味し!」と言ったのかも。 ということで、宮津市から東に向けて神社仏閣巡りを続けます。 侮るなかれ、素晴らしい美仏があ

東大寺「一月堂(正月堂)」は奈良ではなく京都の「笠置寺」らしい【京都】春日大社の移築

 東大寺の紹介ページで、一月堂を目次だけ記載していたわけですが、どうも京都府笠置町にある「笠置寺」らしい。本当かどうか?参拝した!!というか、参拝して気づいただけですが・・。 笠置寺公式HPより、まあ~繋がりはあったようだ。そして、境内を周ると・・・ 変更履歴2023/07/15 『南山城展』に行ったので感想など追加(「2023/07/15更新」でページ検索) 2021/08/27 初版 ▼HP▼アクセス京都府相楽郡笠置町笠置笠置山29 https://kasagid

【京都】京都五大寺「東福寺」は 東大寺 + 興福寺 で桜の名所だった!?庭園がオススメ!

東大寺と興福寺の名前をいただき「東福寺」である。 東大寺は皇族所縁の寺で、興福寺は藤原氏の氏寺であり、そこから頂くとは不思議。どうも東大寺の大きさ(広さ)と興福寺の教学の高さから一字ずつ頂いたのが正しいそうだ。 この寺は東福寺駅から参拝する方が多いが、鳥羽街道駅からのアプローチを推奨する人がいる。理由は直線で南大門・勅使門に着くので本来の参道だろうというとこか。 ただ、三門しか入れないので、東福寺駅からのほうが良いのかも。 ということだが、御寺より歩いてくる流れで紹介しま

唯一の天皇菩提寺「泉涌寺(御寺)」秘仏が少ない仏像!塔頭に運慶・快慶・湛慶あり【京都】

皇室・公家から援助を受け、歴代天皇の御陵が造営されたことから菩提寺となり、御寺と呼ばれている。東福寺とセットでゆっくり参拝するのがよいと思う。なお、一般客の参拝は戦後なんだそうな・・Σ(´∀`;)  平安時代に仙遊寺ともされ、本格的には鎌倉時代に「泉涌寺」として創建したそうな。四条天皇以降に葬儀をして「御寺」と呼ばれだしたようだ。 変更履歴 2024/01/13 七福神追加(https://kyotopi.jp/articles/9IiRV) 2022/09/10

京都・元伊勢候補地(籠神社以外)/羽衣伝承&かぐや姫/藤社神社/比沼麻奈為神社/奈具神社/竹野神社

第十一代垂仁天皇のときに、「天照大神」は現在の伊勢市にある伊勢神宮・内宮に遷る。その後、第二十一代雄略天皇の時代にアマテラスが「食事を司っていた豊受大神がそばにいてくれると安心だ」というご神託があり、豊受大神が伊勢に遷ることになったとのこと。 日本書紀に記載がある元伊勢「吉佐宮(与謝宮などの記載もある)」は籠神社だろうとあることから、伊勢神宮内宮の元宮、さらに外宮の元宮と思っている人が多い認識である(私もそう思っている)。 ただ、そのほかにも内宮・外宮がセットになった神社

天橋立!元伊勢「籠神社/真名井神社」伊勢神宮外宮の故郷!磐座信仰【京都】【丹後王国】

※ご注意※磐座あたりは禁足地になっています。 丹後王国中心の地で、元伊勢籠神社は、平安時代の家系図があり、国宝である。家系図を見ると尾張氏の祖なども記されているなど、色々と興味深いところである。 日本書紀には元伊勢「吉佐宮(よさのみや)」は丹後の国(厳密には丹波)と記されており、伊勢神宮外宮元宮、浦島太郎、羽衣伝承、上賀茂神社と同一神・葵祭、天皇の皇后などを輩出、聖徳太子の母など、気になるものがてんこ盛りの神社である。 長いので、箇条書きにします・・。 2019年で天照大

京都代表「伏見稲荷大社」秦氏ゆかり神社【京都】稲荷山

 平安遷都よりも古く、711年創建と伝わる。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山をご神体とする稲荷神社の本宮。全国に約3万社あるといわれ、どの神社に行っても、摂社・末社には稲荷社があるぐらい庶民権を得た神社!?  この神社は何といっても「千本鳥居」。 これは江戸時代以降に、願いごとが「通るように」または「通った」というお礼をこめて、鳥居を奉納する習慣が広まったことによるものだとか。1300年の歴史を思えば、まだ新しいことのように感じますね。  この神社は稲荷山をご神体とする神社で奥

秦氏!三柱鳥居「木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)」謎多き古社!元糺!秦氏と賀茂氏?【京都右京シリーズ】【嵐山シリーズ】

京福電鉄「蚕ノ社」駅を降りて徒歩5分。「蚕ノ社」は別名で、正式は「木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたま)」である。「木島神社」や「木嶋神社」とも記され、読みは「このしまじんじゃ」である。本殿・拝殿・舞殿があり!?小さいながらも雰囲気を持つ秦氏所縁の神社。この神社の注目は、本殿西に建てられている京都三珍鳥居の一つ「三柱鳥居」である。  この神社は、古くより雨乞いもされたようで、参詣の人も多かったと平安時代の『日本三代実録』や『梁塵秘抄』からも知ることができる。 ▼

今上天皇の衣装を着る聖徳太子「広隆寺・大酒神社」秦河勝「蛇塚古墳」秦氏【京都】

広隆寺は泰氏の氏寺で、秦氏は渡来人?もしくは帰化人?秦の始皇帝の子孫?イスラエルからやってきた異邦人?と、そのルーツは謎の渡来人。建築技術、治水、養蚕など高度な文化を持ち、平安京の造営にも深く係った部族である。 聖徳太子は言う「私のところにとても尊い仏像があるのだが、誰かこれを拝もうという者はいないか」と問われ、秦河勝が「では我が家で」と応えたのがこの寺の始まりらしい。 蜂岡寺(はちおかでら、ほうこうじ)、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があり平安京遷都以前から存在

完全制覇!秦氏「松尾大社・月読神社」下鴨神社・上賀茂神社と同等の古社である

701年秦氏が創建。松尾山の岩倉(磐座)を祀り始めたのがはじまりと思われる。平安遷都は秦氏と賀茂氏が尽力したそうで、西の松尾社、東の賀茂社と言われ、天皇が崇敬する二十二社の一つである。最後に京都四条通はここと八坂神社が両端になっている。 変更履歴 ※変更点のみ参照は日付で検索してください。 2024/01/05 正月参拝(「2024/01/05」で検索) 2023/01/22 旧正月参拝記録追加(旅行記はこちら) 2022/10/04 「↑亀の井・よみがえりの水」に動

【京都】上賀茂神社(賀茂別雷神社)・久我神社・大田神社!摂社・末社制覇

 境内には国宝の建物が2棟、重要文化財の建物が41棟あり、世界遺産にも登録されている。  京都で最も古い神社で、賀茂氏の氏神として祀られたのがはじまり。平安遷都の際に皇城鎮護の社となり、あらゆる災難を除く厄除けの神として信仰されている。  祭神は今から2600余年前に神社の背後にある神山(こうやま)に降臨されたという。やがて山里である現在の地に迎えることになり、その際に神様の降りて来られる依代として作られたのが「立砂(たてすな)」だそうな。 桓武天皇が長岡京から平安京遷都の

祭り紹介&八咫烏「下鴨神社(賀茂御祖神社)」増える摂社・末社制覇!【京都】

紀元前658年には神様を祀っていたと『日本書紀』に記されている。平安遷都した桓武天皇は秦氏と賀茂氏に許可を得て遷都したとか!?古都・京都の二大豪族である賀茂氏(加茂氏)の神社。葵祭は賀茂氏のお祭りである。参道は多くの木々に守られ「糺の森」と言われている。最後に秦氏の氏社でも糺の森があり、元はそちらのそうな。   下鴨神社と併せて行くべきところはここ! 変更履歴 2023/01/02 初詣(更新部分は「2024年1月2日」」) 2023/01/02 初詣(更新部分は「2

【京都】石像寺(通称:釘抜地蔵)

通称「釘抜地蔵」こと「石像寺」は「しゃくぞうじ」と読む。 雨宝院を西の北野天満宮に向けて歩き、大通りで北上すると着く。観光客が来ることは無く、地元の方やツウがくるところ。 創建は古く819年に弘法大師・空海によって創建。 遣唐使として唐に渡った空海は、帰国の際に石を持ち帰った。その石に地蔵菩薩を自ら彫り、人々の「諸悪・諸苦・諸病を救い助けん」と祈願し、苦しみを抜き取ってくださるお地蔵様ということから、”苦抜(くぬき)”と呼ばれるようになり、その後「くぬき」がなまり「く