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09.中国・山陰・四国

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2022年2月の記事一覧

出雲王朝!スサノオから大国主?「出雲大社」ガチで御縁を頂くための作法?神議の地「杵築大社」も記す

古事記の大半のページを占める古社で国譲りは有名!古事記は作り話と長らくされていたが、裏付けするものが出てきて、歴史をひっくり返した神社でもある。最近までは杵築大社と呼ばれており、オオクニヌシではなくスサノオの社という噂もある。事実としては杵築大社の宮司が出雲氏であったということ。ちなみに出雲氏は、現在、千家家と北島家に分かれ、本殿左右の境外に出て行くと立派な門構えの建物があり、そこに住んでいる。  ダラダラ長いです。脱線しまくりです。間違っているところも多いかと。なので、間

エビス総本宮!出雲大社と両詣「美保神社」オオクニヌシ長男坊コトシロヌシ!娘は神武天皇皇后「佛谷寺」出雲式国重文の仏像たち

出雲大社のみは「片参り」で必ず美保神社へもお参りすべし。ここの恵比寿様はコトシロヌシで、西宮神社の恵比寿はヒルコでエビス本宮はどっち?コトシロヌシは国譲りで父・オオクニヌシに相談され、速攻!お譲りします!とした神様。  出雲では「ミホ」というとオオクニヌシの妻・三穂津姫命が祀られているが、京都でいえば出雲大神宮ですね。出雲大神宮では奇魂・幸魂と記されているが、三穂津姫命がオオクニヌシの奇魂・幸魂とか。そういうことなんだ・・。 変更履歴 2024/02/09 動画など更新(

石見二宮・オオクニヌシ息子コトシロヌシ「多鳩神社」八咫烏を招く?鴨氏・賀茂氏カモ?

861年に創建された古社。祭神は「積羽八重事代主命(ツミハヤエコトシロヌシ)」で、古くより海神「えびすさん」としても知られている。社伝によれば、この多鳩神社が積羽八重事代主命の終焉の地ということです。 変更履歴 2022/02/25 初版 ▼HP▼アクセス島根県江津市二宮町神主イ307 ▼祭神積羽八重事代主命 ▼見どころ参道の苔具合がよい! 社殿が見える。左手には「タマトの瀧」がある。 肝心の社殿の写真がないです。。( TДT)ゴメンヨー  日本サッカー協会の

スサノオ末裔・須佐氏が社家「須佐神社」姉・アマテラスに謝りに行く【出雲シリーズ】

須佐氏出雲国風土記に見えるスサノオ御終焉の地。社家は須佐氏で、スサノオの子・八島士奴美神(ヤシマシヌミノカミ)を祖とすると伝えられている。スサノオは言う「ここは小さい国だが良いところである。自分の名前は石や木には付けるのではなく、この土地に付けよう」と、自らを鎮めるこの地に「須佐」という名を付けられたのだそうです。  元々は宮山に鎮座していたが800年あたりに今のところに鎮座したそうな。って、歴史ありすぎですね・・。 変更履歴 2022/02/24 初版 ▼HP▼アクセス

日本初の宮!スサノオ💛イナダヒメ新婚生活「須我神社」奥宮へGO!和歌発祥の地

スサノオがヤハタノオロチを退治して妻・イナダヒメと幸せに暮らした地。授与所で祈願の札を受けて願い事を書いたら、奥宮で願を結んで納札!奥宮の磐座には親子になっているパワースポット!!軽い山登りになりますが、スガスガしいですよ!!  スサノオは、この地にたどり着いて「すがすがし」と言い、宮殿を囲んで沸く雲を見て「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」と詠んだとさ。 変更履歴 2022/09/16 参拝したので追加 2022/02/23 初版 ▼HP▼アクセス島根

物部が出雲を見張る「物部神社」石見一宮は御神体は山の古社

物部氏の祖・ウマシマジを祀る。神武天皇よりも早く大和に入り、神武天皇の祖であるニニギの兄弟・饒速日命(ニギハヤヒ)の息子。祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定し、天香具山命は新潟・弥彦神社に鎮座する。祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り平定。次いで、八百山が大和・天香具山ににていることから、ここに鎮座した。 変更履歴 2022/02/22 初版 ▼HP▼アクセス島根県大田市川合町川合1545 ▼祭神宇摩志麻遅命(ウマシマジ) ▼見どころ 島

伊勢神宮対極!出雲大社より古い「日御碕神社」上の宮:スサノオ>下の宮:アマテラスが日沈?【出雲シリーズ】

数量限定「砂のお守り」!日が昇る「伊勢神宮」、日が沈む「日御碕神社」で上の宮と下の宮の二社からなる。上の宮「神の宮」はアマテラスかと思いきやスサノオ。下の宮「日沈宮」にアマテラスとなるのでご注意を!鎌倉時代には、杵築(現出雲)・佐太と並ぶ神社とされた古社でスサノオの5代目の御子の末裔が宮司。この地域でアマテラスは珍しく、出雲国風土記には「美佐伎社」と記され、地元民からは「みさきさん」の愛称で親しまれている。  歴史的には「日沈宮」より「神の宮」の方の歴史がある。日沈宮は94

美肌と良縁祈願「玉作湯神社」願い石・叶え石!おしろい地蔵?「清巌寺」玉造温泉街

出雲大社の宮司が代替わりする際には、玉作湯神社で祈念した勾玉を奉納する習わしがある古社。そして、明治時代以降、天皇即位の際は、ここの瑪瑙・碧玉製品が献上されるそうな。温泉街には温泉寺や温泉系神社がありますよね!?玉造温泉は「玉作湯神社」になります。 変更履歴 2022/029/22 2022/09/16参拝(2022/09/16で検索) 2022/02/20 初版 ▼HP なし▼アクセス松江市玉湯町玉造 508 ▼祭神櫛明玉神・・・玉作連、玉祖連の遠祖 大名持神・・・

現代結婚の初!スサノオ💛イナダヒメの縁結び「八重垣神社」水みくじ池はヤマタノオロチ退治伝承!意宇六社!龍神がいる・・

ヤハタノオロチと戦うスサノオは言う「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣つくるその八重垣を」と。見事倒してクシナダと結婚!という記紀の場所はココ!!収蔵庫には893年に描かれた本殿内の壁画がある。出雲地域の民謡では「早く出雲の八重垣様に、縁の結びを願いたい」というのがあるらしい。 出雲国風土記・延喜式神名帳に「佐久佐社」と記されており、佐久佐社は六所神社説と八重垣神社説があるのだが、私見では八重垣神社と思っている。 変更履歴 2022/10/15 「▼お水取りの儀」追加 202

出雲大社が訪問しダメ出しされる「熊野大社」は出雲一宮!出雲三社!熊野三山相当!意宇六社!

出雲国一宮。平安時代の初期までは出雲大社よりこちらがメインだった!今でも出雲大社がこちらに出向く「鑽火祭」では、ここの下級神職に「餅が小さい!」と怒られる!?『日本書紀』『出雲風土記』にも「熊野大神の社坐す」と記された古社で、659年に斉明天皇の勅命で修造となっているが、始まりは神代に遡り、意宇川源流にある熊野山(天狗山)の頂上の磐座に熊野大明神が降臨したとする。今でも山頂での祭祀は続いている!!  さて、昔話をすると、元々は下社と上社と別れていた。熊野山の山頂にある上社は

国宝!日本最古の大社造「神魂神社」は大庭の大宮と呼ばれる出雲重要地!意宇六社!

神魂神社の本殿@国宝までのアプローチが好き。天穂日命がこの地に天降って創建した神社とされ、出雲大社と繋がりが強く独特の雰囲気。しかし、延喜式や出雲国風土記など記されていないので、平安時代中期以降創建とされる。ただ、出雲国府に近く、天穂日命の子孫が出雲国造として25代まで「熊野大社」と「神魂神社」の宮司を務めていたそうな。そういう謂れから天穂日命が、高天原から葦原中国(地上)に天降った際に創建した神社ともいわれている。  ちなみに700年代から、出雲大社の出雲国造が危篤状態に

出雲の神々を纏める総社「六所神社」は意宇六社の1社!神紋は神魂神社・真名井神社と同じ・・。

出雲国府の総社と呼ばれ、古文書にもしばしば登場する意宇六社の1社。古い資料によると神在祭で「全国の神々はまず六所神社へ集まる」と記されている。 変更履歴 ▼HP なし▼アクセス松江市大草町496  ※「出雲国府(国庁)跡」隣接 ▼祭神イザナギ、アマテラス、ツクヨミ、イザナミ、スサノオ、オオナムチ(オオクニヌシ別名) ▼見どころ 鳥居をくぐると「随身門」で、外向きではなく向き合った造りになっている。  出雲国風土記・延喜式神名帳に「佐久佐社」と記されており、八重垣神

イザナギ💛イザナミ💔「神蹟黄泉比良坂石碑・揖夜神社」あの世の境

💛夫婦の別れ💔・・黄泉の国!?意宇六社の一社で熊野大社とともにもっとも古い神社の一つ。出雲風土記にある伊布夜社と思われる。すぐそばにある黄泉比良坂とともに黄泉の国とのつながりが深い神社。 三重県熊野市にも黄泉の国につながっていると言われている場所があります。出雲にも熊野大社がありますよね。。この繋がりは偶然??(日本書紀では墓は三重の熊野市としているが。) 変更履歴 2022/02/15 初版 ▼HP なし▼アクセス▽揖夜神社     :島根県松江市東出雲町揖屋229

京都⇔出雲の足跡「平浜八幡宮・武内神社」「真名井神社」は意宇六社で出雲国造家との関係【出雲】

美保神社から境港へ!ナビが曲がれと指示した1個前の小道で曲がってしまうとよさげな神社の横へ!たまたま参拝したのがここです。いやぁ~よかったですよ。車で周っているとたまたま眞名井の文字が、よい雰囲気の神社でした。意宇六社の一社ですね。 変更履歴 2022/02/14 初版 ▼HP 公式なし▼アクセス平浜八幡宮:島根県松江市八幡町303 武内神社 :島根県松江市八幡町303 真名井神社:島根県松江市山代町84 ▼祭神・本尊と脇時▽平浜八幡宮 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后 ▽