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『マツコ会議』文字起こしして見えてきたDJ松永炎上発言の背景―HIP HOPとポリティカルコレクトネスの関係を考える

DJ松永が炎上したらしい。とりあえず、SNSで情報を収集してみる。おおまかに分かったのは、

・11月13日放送の『マツコ会議』にHIP HOPユニットのCreepy Nutsが出演。

・松永が「HIP HOPが日本で広まるには限界がある」と発言。

・その根拠は「日本ではミソジニーを受け入れられないから」

というものだった。これだけ聞くと、いくらなんでもDJ松永氏の発言に完全な非がある。ただ、『Creepy Nutsのオールナイトニッポンゼロ』のリスナーとしては、松永がいくらなんでも、ここまで愚かでないことを知っている。また、松永は波物語の事件があった際、普段の中二ノリそっちのけで熱くHIP HOPを擁護した男でもある。

発言の真意を理解したいと思い、TVerで『マツコ会議』を視聴してみることにした。結論を先に述べておく。事態を招いたのは、「HIP HOP界とポリティカルコレクトネス(PC)の関係」だと思った。もちろん、松永個人に古い価値観があることも大きな原因ではある。ただ、その古い価値観は、HIP HOPや日本のエンタテインメント業界すべてに通底しているのではないか。単に、松永一人を晒上げるのではなく、根本的な闇にまで言及しなければ、文化のアップデートなど訪れないのではないかと思う。

日本っぽいHIP HOPというマツコの考え方

問題のやりとりは、番組の中盤だった。テーマは「HIP HOPの新たな在り方」。番組ではそれっぽい煽りを入れて、Creepy Nutsを「ときには弱い自分たちをありのままに表現し、日本のHIP HOPの新たな在り方を示してきた」と形容する。

マツコ 「向こう(アメリカ)のさ、それこそすごいラッパーの人たちっているじゃない?ああいう人たちってさ、ヤバい人たちじゃん」

松永「ヤバいです」

マツコ「人としてかなりダメな人たちなわけよ。だから、どんなにかっこつけてても、その背景があるからただかっこいいだけじゃないんだよね。じゃあ、それをどう日本的なHIP HOPっていうのがさ、あるのかっていうのをさ。試行錯誤してきた歴史もあるわけじゃない?その中の一個の解答として、このかっこのつけかたというのが、あたしはすごく日本ぽいと思うのね」

松永「めっちゃありがたいっすね」

(中略)

R-指定 「別に日本のHIP HOPのイメージをクリーンにしたいというわけではなく、俺みたいなやつがやっててもいいやろという、自分の居場所を探すためにやってるという感覚があって」

ここまでの流れは特におかしくないと思う。マツコの言うことは陳腐だし、R-指定の返答もCreepy Nutsをよく知るものからすればテンプレートのひとつである。問題は、この次からだ。

マツコ「なんかでもさ、日本のHIP HOPで独自な進化で面白いなって思うのは、あんな暴力的だったり貧困だったりドラッグだったりじゃないけど、少年たち、青年たちが抱えている闇とかさ、あるわけじゃん。それを乗せたときに日本のHIP HOPってかっこよくなるんだよね。日本語がそうなのか分からないけど。そう考えると、EAST END アンドとか…(※EAST END × YURIの言い間違え)あのへんもなんか、なんだこれはと思ってたんだけど、今考えると全部つながってるなって」

R-指定「まさしく」

松永「確かに、確かに」

EAST END × YURIの名前が出てこない時点で、マツコの日本語ラップ史への知識はやや疑わしい。Creepy Nutsの二人は相槌を打っていはいるが、放送を見れば、やや機械的な印象を受ける。実際、R-指定は次の返答で話題を軌道修正しようとする。以下の言葉は、マツコの「暴力的だったり貧困だったりドラッグだったりじゃないけど」へのアンサーである。

R-指定「どれが正解の日本のHIP HOPというのはなくて。いろんな形を許容できるくらいの、日本にも大きな器ができてきたのかなって。俺らみたいなやつもおるし、あっちのような荒れた環境から成り上がっていくやつもおるし。政治的なところを見て、持たざる者の叫びをコンシャスに描き出す人もおって。俺らみたいに普通に生きてるやつらの自意識っていうのをしゃべるのもおって。いろんなところで旗立てていくことで広がっていくんかなみたいな」

明らかに、「日本人は暴力的だったり貧困だったりドラッグだったりじゃないことをラップにするとかっこよくなる」の部分をやんわり訂正している。少なくともR-指定にとってのHIP HOPとは多様性であり、自分たちもその一部だという認識なのだろう。なお、ここまでもこれ以降も、マツコはHIP HOPとラップ、フリースタイルバトルなどの単語をすべて混同して使用している。そのため、音楽や音楽史に関わる部分は、話半分に聞いておいた方がいい。

そして、いよいよ松永が問題のテーマをぶつけてくる。

ミソジニーの下りを検証する

松永「この話の流れで、マツコさんやRに聞きたいなと思うことがあるんですけど」

マツコ「いいよ、いいよ」

松永「日本でHIP HOP。まあ、広まってくれればうれしいなと思う反面、日本だとどうしても限界があると思っていて。暴力的なところとか、倫理的にアウトなところとかを許容する価値観みたいなのが、日本人と合わないなと思っていて。俺、それをすごく感じたのが『フリースタイルダンジョン』だったんですよ。MCバトルってめっちゃ流行ったじゃん。でもそれ、もともと超アウトサイダーなわけ。地下格闘技なわけ。マジな犯罪者たちが暴力以外の解決策として、ならず者たちがアウトな言葉たちの応酬で、それがエンタメになって。みんながこれ面白いぞって言って、テレビまで行ったじゃないですか。まあ、罵り合う競技だから、暴言を言わないと始まらないというか。大前提なわけですけど。男性が女性に言った言葉として、ミソジニーって言って炎上したわけですよ。そういうの見たときに、ここ止まりだな日本ではとか」

もしも「男性ラッパーが女性ラッパーにミソジニーをぶつけたことで、男性側が炎上した。だから、日本のHIP HOPは限界だ」と松永が主張しているなら、明らかに彼の認識は歪んでいる。傲慢との批判も正しいと言えるだろう。

ただ、そもそも松永の発言には事実誤認がある。『フリースタイルダンジョン』で「ミソジニー」という言葉が使われたことは一回だけ。チャレンジャーの椿がモンスターの呂布カルマと対戦したときだ。

知らない人のために説明すると、『フリースタイルダンジョン』とは2015~2020年まで、テレビ朝日が制作していたMCバトルを題材とした番組である。毎回、番組に選ばれたラッパーがチャレンジャーとして登場する。そして、5人の有名ラッパーがモンスターとしてチャレンジャーを迎え撃つ。5人連続で勝利したらチャレンジャーが100万円獲得、というルールだ。

椿は2018年の放送回に登場し、今ではバラエティ番組でもおなじみの呂布カルマと対戦した。そこで、呂布カルマは椿に性別に関するDisを繰り出し、椿は「ミソジニー発言」と形容した。なお、試合は呂布カルマが勝利した。

つまり、「ミソジニー」という言葉は女性から男性に向けられた言葉であり、松永の記憶違いか言い間違えがある。仮に松永が言い間違えたとして、「男性のミソジニー発言で炎上する日本のHIP HOPは限界だ」という意図があったとしよう。自分としては、それがHIP HOPの限界だとはまったく思わない。そもそも、炎上に加担する人々の何割が音楽や文化に興味を持っているのか、判断できないからである。

もしも松永の真意が「ミソジニーに限らず、PCが過激化して言葉狩りのようになった日本では、HIP HOPは広まらない」だったとしよう。ただ、欧米のスタンダードに比べたら、日本のPCなどかなり生ぬるい。バラエティ番組では堂々とフェミニズムが笑いの種にされているし、人種や性的指向、容姿いじりもかなり許容されている。性犯罪を犯した芸能人も、すんなり仕事に復帰している。

HIP HOPの中心地であるアメリカでは、メディアでこれらの問題を起こしたタレントがいれば激しく糾弾される。ウディ・アレンのように、過去の事件で業界を追放される巨匠も出てきた。松永には「PCがHIP HOPの浸透を妨げている」との意識があるが、その意見には何の裏付けもない。

もしかしたら、松永の「PC嫌悪」は日本のエンタメ業界全体の共通認識なのかもしれない。マツコは松永に問いかけられ、答えていく。

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