どこかにたどり着くためにも、女に俺を認めさせなければいけない

自分が何をしているのかわからない。正しいのか間違っているのかそもそも是非を判断することに意味があるのか無いのか、是非を判断しようとしている時点で没頭できていないからこの世から退場した方がいいのかそうでは無いのか、人権があるように見えるけど人権など初めから実は存在していないのか。

男性というだけで荷物運びに割り振られる等、なんの根拠にもなってないわけのわからない価値判断に晒される派遣のアルバイト帰りはいつも決まって迷走する。憂鬱とは少し違うのかもしれないがそれすらもわからない。派遣バイトをやるような連中はなんとなく鬱屈とした雰囲気が漂っていて、一挙一動がどこか意味不明さを醸し出しており、極めて信用できない。それでも小銭は稼ぎたいのでやむなく出勤する。別にそこまで重い荷物では無いのだから、男性も女性も関係なく荷物運びに従事させた方が効率が良いのでは無いか?もちろん僕の知らない彼らなりのロジックがあって、男に荷物を運ばせるという行為にもかなりの歴史があって、それが現代まで生き延びているからにはなんらかの意味があるんだろうけど、私はどうしても数十人しかいない半分以上が女性の現場なのに、もう半分の女性は雑談をしながらチンタラと作業している癖して男側ばかりで負担を強いられるのはかなり不愉快であった。全員で運べば楽なのにと思ってしまう。

ただそれも性別を差別されたから、不当に差別されたからというのではなく、もっともっと私の醜くて卑劣な一面が不快感の源になっているような予感もしている。女性に相手されないことで溜め込んだ女性蔑視の衝動をなんとかして社会的に認められるような口実を探しながら吐き出そうとしているような気がして気持ち悪い。というか多分そうだ。もっと彼女とうまく行っていて、女にドタキャンされることもなく、訳もわからない理由で(男の人が怖いと股を開いたくせしてラインブロックしてきた。)振られることもなかったらきっと荷物なんてなんの気にも留めずに運んだし、女性がしゃべっていようがしゃべっていなかろうが気にならなかったのでは無いか。

結局私の中にあるジェンダー不平等を打破するための社会正義に見えるような感情も結局は自分の弱さの言い訳にしかならない、というか女に相手にされていないという現状があらゆる社会正義をモテないことの言い訳みたいに変質させてしまうような気がする。

つまり女に認められない限り、モテない、気持ち悪い男の戯言として何事も蔑まれてしまうのでは?
仕事に打ち込めば、モテないから仕方なく働いている、ヒモになれないから妥協しているのだと、
労働の不条理を説けば、モテないから守る人がいないからすぐ不満を言うのだと
勉学に打ち込めば、恋愛できないからその埋め合わせに必死なんだと、
勉学の無意味さを説けば、モテないのに勉強もできないなんて終わりだと

おれは女が好きなのか?好きにさせられているのではないか?女を好きになって女に認められなければアイデンティティを発揮できず自分が保てないから、好きにならざるを得ないのではないか?

女を欲する割に女のために一万円以上のプレゼントを送るのは馬鹿らしいと思う。それは女嫌いというより自分にそれだけの金を用意する甲斐性がないからというのもあるが。というかそっちの方が正しいのかもしれない。彼女にプレゼントをするのは本当に苦痛だった。金なんて出したくなかった。だがそれも自発的に女に金を出さないと判断しているのではなく、ただ自分に労働適性がないから女を愛することもできないだけなのでは?

そうなったらもうこの魂が呪われている以外に確からしい真実が見つからない。

もう疲れた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?