誰の言葉を信じるべきか?

私は生まれてまもなく養子に出たので、血縁とは縁が遠かったが。保育園児だった頃は、時々、李玖が私に会いに来ていた。二人で散歩している時には、私の出自について色々と教えてくれた。難しい話は理解できなかったし、音で記憶するしかなかった。

「ようこちゃんは、ちょうせんじんなんだ。ぼくが、おとうさんだ」と李玖が言ったのを音で記憶している。小学校・中学校・高等学校と勉強を進めることで、その意味を理解していった。養父が色々と知っておくべきことを補足してくれた。

二十歳になる直前に、日本の戸籍上の実父母と兄弟姉妹の家にしばらく滞在した。戸籍上の実父は李垠の六男。そうしたら、実母には「誰の子か分からないのに」と投げ言葉を返された。兄弟姉妹は自分たちが日本人だと信じ切っていた。

生後から幼少期までは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と日本の二重国籍だったが、政情悪化を理由に、李玖と養父が親権を行使して北朝鮮国籍を放棄し日本国籍を選択する宣言をした。北朝鮮国籍を放棄と言っても、一度は登録してあるので、私が手続きすれば復帰できる。李成桂の出身地に本貫があって、今は金野(クミャ)と呼ばれているが、かつての永興郡だ。本貫での父親は李玖になっているとのこと。

23歳の時に養父が他界した。それまでの養母は、私がコリアンであることを否定することは無かった。なのに、(養父が亡くなってからと言うもの)態度が一変した。私が出自の話をしようものなら、それからの養母は声を荒げてでも否定した。

それでなくても、幼少時に朝鮮総連に拉致されたのをキッカケに、解離性健忘(記憶喪失)があった。養母の態度に私は混乱した。でも、少しずつ精神が強くなって解離性健忘が寛解(精神科用語で治癒の意味)に近づくと、「李玖と養父の言葉がより真実に近い」と私は理解するようになった。

ネットで出自のことを書くと、否定やアンチを受ける。「姫は心の病気を抱えているから」との理由で、私のことは伏せられて来ていた。マスコミには報道規制がかけられていた。だから仕方がない。李玖は「李王家に相応しい姫になったら表に出しても良い。条件は、箔付けとして、アメリカでMBAを取ってくることだ」と言っていたが。

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