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廃墟と遺物

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#索道

-戦前の高松定番の観光-屋島登山鉄道(屋島ケーブル)と...

■高松観光戦前昭和資料でみる(定番コースとは) 正確な時期まではわかりませんが、 持っている資料は1934年(昭和9年)のものになります。 この頃の観光コースの定番が屋島と栗林公園“りつりんこうえん”をセットで巡るというものだったようです。 ■屋島登山鉄道(チラシ) 裏面には最初の持ち主で観光したであろう方の文字で<三月二十六日>と書かれています。 路線図とわかりやすい案内図の下には ・屋島登山鉄道株式会社 ・四国水力電気株式会社 ・高松・光栄社 印行 と記載があるのが

夢となった温泉とレジャー-索道駅舎たち-

【この(索道)ロープウェイについて】1975年(昭和50)開業、1981年(昭和56)に休業(閉業?) 温泉街から徒歩数分の山麓駅(営業時は駐車場があったとも)から小高い山中で湖周辺に位置する山頂駅を結んでいました。 延長    1132m 高低差    136m 所要時間   約7分 到着駅標高  520m 1976年、索道(営業中)の空中写真です ■赤色〇内に【山頂駅】 ■黄色〇内に【麓駅】 ■水色線、索道のロープの通っている場所 【1970年代って?!】■経

昭和レジャーの聖地-索道(駅舎)跡と遊園地跡-

【索道編】 昭和3年(1928年)に京都電燈が「〇〇山空中ケーブル」として開業。太平洋戦争の最中の昭和17年(1942年)に(京福に事業継承)一旦廃止というがその後も使用されていないので休線以上廃線未満の状態が続く。現在(も営業が続く索道ルート)とは異なる位置にあった索道(ロープウェー)駅舎と支柱を紹介しようと思います。 現在のルートでの営業が再開されたのは※昭和31年(1956年)第二次世界大戦(太平洋戦争)後の事でした。 (余談と脱線) 昭和31年というのは国内では 売

大型リゾート構想-ドライブイン(索道駅)跡地-

こちらは大規模なリゾート構想計画(昭和37年)の経緯その後は諸々あるのですが、今回は【ドライブイン・駅舎】についてのみご紹介します。 (自分が記録してる平成14年時資料より) 【建物の種類】停車型店舗 【建物の構造】鉄筋コンクリート造 1階 549.10㎡、2階 524.80㎡、3階 12.69㎡、4階 153.86㎡ 地下1階 90.13㎡ 外観 1階(当時のパンフレットのレストランで見かけたような椅子が・・・) 2階(現役時代は恐らくこのフロアがレストラン) 赤