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「陽キャ」とか「陰キャ」とか不明確なカテゴライズなんて必要ないの。

巷でよく耳にする「陽キャ」、「陰キャ」というフレーズ。

十数年前、自分が高校生の頃は「陽キャラ」、「陰キャラ」と呼ばれていて、まだ辛うじて “ラ” があった時代。今ほどポピュラーではなかったし、あまり使っている人もいなかった。

自分は当時からこの言葉が好きじゃなかった。「え、誰のための何のカテゴライズ?」って感じ。

みんな明るい部分もあれば、暗い部分もある。陰も陽もグラデーションだから、同じくらいみんなにあると思うの。それが目の見えてわかりやすいか、わかりにくいかの違いだけ。

「陽キャ」、「陰キャ」の二極性による先入観ってとても危険で、自己肯定感を下げる原因にもなると思うの。

「私は “陽キャ” だからこんな地味な趣味ダメだ。もっと派手な物を好きにならないと。」、「僕は “陰キャ” だから、こんなことできない。」など自分で自分を決めつけて、自分を否定してしまう。

そんな先入観捨てた方がもっと楽しく生きられると思う。安易なカテゴライズなんて令和を生きるウチらには必要ない。

自分も昔、自分勝手に決めた固定観念に縛られた経験がある。「自分のようなキャラは、いつもハッピーで明るくいなきゃいけない」、「暗い顔を見せちゃダメだ」とか。友達と過ごすのは楽しかったけど、一人で過ごす時間も大切だったよ。その時、自分をどちらかに当てはめることに違和感を感じたんだよね。

自分の陽も陰も愛すの。

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