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愛犬の散歩から学ぶ、本質の大切さ
我が家のアイドル。チワックスのうりぼう(12歳♂)
うりぼう(以下うり)という名前の由来は、幼少期に猪のウリ坊と同じように背中に一直線の模様があったから。妹が命名した。
自分は「銀杏」がよかった。提案したら見事に却下されたけど。今思うと、うりぼうでよかった。笑
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実は、少し前から散歩で全然歩かなくなった。
「なんでだろう?歳かな?」と思っていた。
けどある時、気づいたんだよね。
自分の都合で散歩していることに。
「ちょっと暑いけど、時間的に都合良いから今散歩行っちゃお。」
「ご飯作りたいから早く帰りたい。」
「この道怖いから通りたくない。」
「ここは汚れるからダメ。」
など完全に「自分(人間)の都合」で散歩していた。飼い主、家族として思いやりが足りなかったなと反省した。いつからかうりの散歩が「作業」になっていた。
散歩とは、愛犬と心のスキンシップをする時間。
慣れは怖い。うりが当たり前の存在になってそんなことも忘れていた。愛していたつもりだったけど、本当の意味で愛がなかった。
そりゃ、うりは歩かないわけだ。
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それに気づいた翌日、「うりが行きたい方へ」、「うりの過ごしやすい気候」、「うりが気の済むまで」など、「うりの都合」を意識して散歩してみた。言い換えるなら、思いやりを持ってうりと散歩した。
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今までが嘘のように
歩く、歩く、歩く。笑
散歩は自分のためではなく、うりのため。うりが喜ぶ散歩こそ「本質」だった。
物事の「本質」を考えて「行動」する。
なにか上手くいかない時は、「本質」を見失ってるかも。そんな時は一度立ち止まって「本質」は何かを考えてみよう。そうして、また動き出せば良くなる…はず!
うりが教えてくれた、「本質」の大切さ。うりに喜んでもらえる散歩ができるよう、今後も散歩同行させていただきます。教えてくれてありがとう。
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