『タッチ』と『ノルウェイの森』と柏葉英二郎監督の役割について

以前読んで、また読みなおしたけどやっぱり面白かった。
『タッチ』と『ノルウェイの森』を比較した考察。

『タッチ』の南ちゃんは本当は何者だったのか
https://note.com/774notes/n/n16c3763c3603

『タッチ』も『ノルウェイの森』も、男2女1の三角関係で、主人公ではない方の男が死んでしまうという話。

『ノルウェイの森』は自殺した親友の彼女と、主人公が後につきあうんだけど、彼女も自殺してしまって終わる。死の影に満ちた話で、友人の自殺の影響がずっと主人公たちについて回る。

「三角関係の一角が死んでしまった状況で、そのあとどう生きるか、どうやって死の影から逃れるか」という問いに対して「死者の目標である甲子園出場を果たすことで払拭する」という答えを出したのが『タッチ』であると考えてみると、筋書きがすっきり理解できた(タッチの方が先に連載開始してるけど)


また、タッチの凄いところは、柏葉英二郎監督を出したところだと思う。

監督のやっていることは、悪霊になった和也の暗黒面が祟りをなして襲い掛かってくるのと、ほぼ同じである。平安時代の作品ならそれでいけるかもしれないと思うほどだ。

現代だから人間の形をしているのだと思う。

監督は、南を部(達也)から引き離すし、自分は喫茶店で南と会うし、試合では弟であることの無念を語っている。タッチはどうしても達也と和也が最終的に対決しなければならないお話なのだと思う。それを表現するために登場するのが柏葉英二郎なのだろう。

甲子園出場が決まると、監督がチームを去るのも、そのせいだと思う。

入院している監督のもとに、見舞いに行くシーンも暗示的だ。この物語は、ラストでどうしてももう一度大きな病院に行かなければ終われないお話なのだ。

達也の監督に対する態度は、かなり不自然だ。憎悪を向け続けてもおかしくないのに、話が進むほど「達也も南も監督のこと好きすぎない?おかしくない?」と思うからだ。

この不自然さは、和也の依り代に対しての態度だと考えれば、説明がつくと思う。

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