ありがとう失恋
仕事を辞めた。好きな人と付き合うことも辞めた。私が今しなくちゃいけないことは、10月から入社する会社へ書類を提出するために健康診断を受けること、ほんとそれくらいで、毎日好きな時間に起きて、好きなことだけして、好きなものを食べて、好きな時間に寝ている。今までの人生24年間の中で一番自由だと思う。でも、一番寂しさを感じている気もする。
振り返れば、これまでの人生、恋愛と仕事が私にとってのメインコンテンツだった。常に好きな人がいて、いろんな人とお付き合いをして、いろんな恋愛をした。仕事もある程度結果を残してきて、私は自分のことを真面目で一生懸命で負けず嫌いな人間だと思っていたけれど、それは勘違いだったということに、こうなってみて初めて気付いた。しなければならないことが無い、夢にまで見た自由。正直お金にはとてもとても余裕がなくて節約しなきゃいけないんだけど、そもそもそんなに物欲は無い方だし、安いご飯でも美味しく感じてしまう貧乏性なのでそれは問題じゃなかった。(いや、貯金も尽きるしかなり問題なんだけども、それよりも重要なことに気づいた、というほうが正しいか)
私は今まで、しなければならないことをちゃんとこなすことで、褒められることが好きだっただけだと自覚した。一人暮らしで、仕事もせず過ごして、絵を描いたり映画を観たりドラムを叩いたりスケボーをしたりお酒を飲みながら漫才を観たり、写真を撮りに行ったり、ポートレートのモデルをしたり、こうやってnoteを書いたり、好きなことを好きなだけできる状況になって、確かに楽しいし充実してるけれど、どこか満たされない気持ちでいた。幸いにも10月からの仕事は決まっているので、それがかなり自分の気持ちを楽にしている部分が大きかった。何もやるべきことがない。洗濯も掃除も自炊も、したほうがいいけどしなくたって誰も困らないから、自分がよけりゃしなくていい。こんな生活をいつかはしたいと思っていたけれど、嫌になるくらい自分と向き合う毎日の中で、私は誰かの役に立って褒められてそれによって生かされていたし、そのためなら頑張れるというだけだったのだと気づいた。
あとは、人生最高!楽しい!と思っているときには、大した言葉が湧いてこないことも分かった。ここ最近、私のnoteを見つけて読んでくださったり、反応までいただける方が増えてきて、もっと文章を書きたいと思って何度もnoteを開いたけど、そのときは自由を謳歌して毎日最高って思ってて、そんなときには自分に響く文章を書くことはできなかった。なんというか、上っ面で、どこかで拾ってきた言葉を取ってつけたような感じになってしまう。今は、寂しくて、なんかうまくいかなくて、ふつふつと、奥の方から言葉が湧いてくる。それをどうにか整理したくて、書いている。前からプロフィールに「自分の気持ちを整理するためだけに書きます」と宣言していたけれど、むしろ、そのためにしか書けないし、そのために書いた文章しか自分には響かないのだと、よく分かった。
好きな人との遠距離恋愛に耐えきれず、思った以上に寂しがりやな自分にも直面したし、まだまだ弱いし未熟なんだなってことも痛感した。10月の半ばくらいには彼が地元へ帰ってくるし、友達を含めて4人でライブに行く約束もしているから近いうちにまた会うことになるだろうとは思いながらどんな顔をしたらいいか、どんな方向に気持ちを持っていけば良いのかずっと悩んでいたけれど、今は何も考えず自然体でいればいいやと、ようやく肩の力が抜けてきたように思う。もう大嫌いだと思ったこともあったし、やっぱり好きだからちゃんと話し合いたいと思ったこともあったけど、今はそのどちらでも無いとも言えるしどちらでもあるとも言える不思議な感覚。やっぱり、遠距離じゃなかったら上手くいってたと思うし、それはお互いの共通認識だと思うけど、でも彼が近い将来で海外に行くことを決めている以上は絶対にまた遠距離になるわけで、考えても答えは出ないんだろうと思う。彼と一緒にいる時間を失うのは惜しいし、でも、付き合って寂しい思いをすると彼のことを大嫌いだと思ってしまう。どうしようもなくて、考えるのはやめようと決めた。彼に会ったら、3ヶ月間離れていた間の話をたくさん聞きたいし、私も大変だった転職の話とか、考えたこととかをたくさん話したいし、またみんなでいろんなところに行ったり、楽しい思い出をこれからも作りたい。それだけは、素直にそう思っている。
そんなこともあって、私は人生で初めて、男でできた心の穴を男以外で埋めようとしている。恋愛でできた傷は恋愛で埋めるのが一番だと思って生きてきたけど。ちょっと恋愛に疲れてしまったのもある。
少し前まで好きだったけどずっと曖昧な関係でいた人と最近会って、私のことをどう思ってたのかを聞いてみたら「好きだけど、好きだから別れるのが嫌で、友達だったら別れもないし、友達になりたいと思ってた。」と初めて本音が聞けた。最初は、「なんか色々言ってるけど要するに、そんなに好きじゃなかったってことでしょ」とと可愛げもないことを言ってしまったけど、何を言っても彼なりの正義というか絶対的な考えがあって、自分には理解できない考えなのに納得せざるを得ないくらい熱弁されてしまい、頭では理解してしまった。数日経った今、心の中でも腑に落ちて、なんか今の自分にはそんな考えがピッタリなのかもしれないと思い直して、どんどん自分に馴染んできた。今まではその彼に対して、あんまり自分から誘うと俺のこと好きだな〜と思われるかなとか、褒めすぎると重いかなとか、異性だからこそ意識してしまっていた変な壁があったけど、その本音を聞けた後は、相談したいことがあったりご飯食べに行きたいときはササっと連絡できるようになったし、制作したものをSNSで見てめっちゃ良いと思ったらめっちゃ最高だって伝えられるようになって、彼からも今までより素直な態度を感じるようになって、大切にしたいと自然に思えるようになった。モチベーションを高めてくれるし、何より、私のことを理解してくれていることが本当にありがたいし嬉しい。もう探り合いはしなくていい。隠すものはなにもない、それが本当に清々しくて、人としてますます大好きになった。
今まで私は、友達より恋人のほうが大事で、彼女になれないってことは大切に思われていないということ…と、どこかで勘違いをしてしまっていたのだと思う。男でできた心の穴を男以外で埋めようとしたとき、家族や友達やその他の関わってくれている人たちの大切さに改めて気づいたし、私は今まで恋人に時間を割いていた分だけその人たちを大切にできていなかったということにも気付かされた。「好きだから別れるのが嫌で、友達になりたい」この言葉は、男女問わず友達をめちゃくちゃ大事にしている彼だから自然に言える言葉で、彼が多くの人に愛されているのがなぜなのか、その一部を垣間見たような気がしたし、その一部が今となっては自分にも馴染み始めていて、嬉しくなった。(この彼は、少し前に書いたnote「いつか教えて欲しい」で書いた彼です)
7月末で仕事を辞めて約2ヶ月、家事も全然してないし、本当にダメダメな状態になってはじめて、自分の等身大がどの程度なのかよく分かった。ああダサいな〜と思いながらも、なぜだか愛おしくも思えた。今までどれだけ自分自身と「恋人(彼氏・彼女)」という存在を過信してきたか、そしてそれによって大切なものをどれだけ見過ごしてしまってきたか、そして、そして、それでもなお、家族や友達が離れずに変わらない存在でいてくれたこと、そういうとんでもなく愛すべき存在に改めて気づいた。褒められるためにはやっぱり仕事がしたいし、やるべきことがないとダメな自分なので、やるべきことを与えられたい。もっと自分の努力で人を喜ばせたい。多分このダメダメ期間がなかったら、自分を支えてくれている「家族」「友達」「仕事」この大事な要素の愛おしさにここまで心の底から感謝して生きていくことはできなかったと思う。いつも本当にありがとう。この文章を読んでくれるあなたも、本当にありがとうございます。この気持ちはこれからもずっと持ち続けて、愛を注ぎ続けていきたい。
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