見出し画像

ただいま、父ちゃん

5月に食道がんが発見されて、あっという間に旅立ってしまったね。
やれることはやろうと思った半年だったけど、やっぱり後悔ばかりだよ。
心の半分が無くなってしまったような今、明日からまた前をむけるように自分の思いをここに残していきます。

私は3人兄弟の真ん中で特に、男男女という中での次男なので父ちゃんからのプレッシャーも少なく、比較的自由に育てられてたと思います。
それに引き換え、兄や妹はなかなかの圧がかかっていたよね。
そんな父ちゃんだったから、正直中学生くらいからあんまり話をしなくなってしまいました。決定的だったのは私が高校生の時に夜中に勉強して、朝寝るという変則的な生活を送っていた時に、本気で怒られて殴られた時。あの時から父ちゃんとは一線を置いてしまいました。
就職先を告げて、それを反対されても、私は意に介しませんでした。

やっと話をするようになったのは私が家を出て、二人暮らしを始めてからかな。親無しで暮らすことの大変さを身をもって感じて、そこから少し尊敬の気持ちが芽生えたと思います。さらに子どもが生まれると親のありがたみが本当に感じられて、笑顔で話せるようになりました。初孫ということもあり、今まで見たことない父ちゃんの喜ぶ様は私にとっても嬉しいものでした。その後兄や妹にも子どもが生まれて孫は総勢8名に。
正月に家族が勢ぞろいするとうるさすぎて困るくらいでした。

このまま幸せな生活が続くかと思っていた今年5月、胸のつかえが取れないと病院に行った父ちゃん。末期の食道がんでした。
よく私たち兄弟に話をしてくれたと思います。そしてこの日から兄弟で話をすることも増えました。特に妹は毎日のように実家に寄って励ましていました。父ちゃんもそんな思いにこたえるかのように、元気に闘病生活を送っていました。

治る確率は限りなく低い、そんなことを言われても、なぜか私は父ちゃんなら大丈夫という思いと、もう一つ、『死』というものを直視できない自分がいました。
思い返すと、私の祖父と祖母が亡くなるときも、弱っていく姿を見れずに病院から足が遠のいてしまいました。
友人ががんで闘病している時も行けませんでした。
行くと、泣いてしまうから。
耐えているものが決壊してしまうから。

10月に1か月入院した父ちゃん。
一回だけお見舞いに行きました。
痩せこけて、声に元気がなく、明らかに体調が悪い。
それでも、まだ大丈夫という甘えがありました。
もっと行けたはず。
もっと話せたはず。

11月に退院してきた父ちゃんはすでに話ができない状態に。
その姿を見た私は家族を呼びました。兄弟を呼びました。

その日は以前のようににぎやかでした。
孫たちが父ちゃんに話しかけます。
父ちゃんが話せないながらも首を傾け、目を見つめます。
私たち兄弟が声をかけてもあんまり反応なかったのに。
ただ、父ちゃんが最後に発した言葉は、私に対してでした。
次の日からの入院手続きのために病院に行っていた私が
帰ってきて、「ただいま」と声をかけた時です。
「おかえり」
と一言。本当に自然に声が帰ってきました。
話せるのかと思い、その後も声をかけましたが、それ以降
言葉を聞くことはできませんでした。

夜も更けてきたので孫たちは一旦家に帰ることになり、
私と妹が泊まって様子を見ることになりました。
ほどなくして、父ちゃんの呼吸はとても苦しそうになりました。
心配になり、訪問医の先生に来てもらい、体勢を変えてもらったり
して何とか寝れそうになりました。
私は暗い部屋でライトをつけながら、本でも読んで夜通し側にいよう
と思っていたので、コーヒーを淹れ、まさにそれを口にした時でした。

聞こえていた呼吸が止まったのです。

聞き間違いかと思い、父ちゃんに声をかけ肩を叩きます。
妹もすぐに来て、声をかけます。
一回だけ呼吸したように思います。
手も握りました。
痙攣していました。
そして
私の腕の中で、完全に呼吸が止まりました。
ずっと熱の高かった父ちゃんの体は燃えるように熱かったです。
熱いのに。
動かないんです。

真っ白になる頭を落ち着かせて、兄に電話をしました。
兄は電話がかかってきた瞬間に悟ったそうです。
あとで聞きましたが、そこから兄は30分くらい金縛りに
あったそうです。
私はというと、泣き崩れる母ちゃんと妹を見ながら、飲みかけの
コーヒーをまた口にしていました。
たぶん、心の一部が崩れていたんだと思います。

その後、戻ってきた兄たちと今後のことを話をしながら
いつもの自分を取り戻してきました。
一番つらいのは母ちゃんだよな、と。
もろもろの手続が終わったのは夜明けの4時くらいでした。
少し休もう、と皆が布団へ。

寝れる気がしないので、一人部屋で音楽を聴きました。
父ちゃんが好きだった「長渕剛」さんを聴こうと
スマホから流しました。

「鶴になった父ちゃん」

もしも も一度 逢えるならば

父ちゃんに やっぱり 逢いたい

あの日のでっかい 背中にしがみつき

おもいっきり 甘えて みたい

冒頭の歌詞でせき止めていた涙が溢れだしました。
中学生以降、甘えたことなどありませんでした。
元気なうちに、話せるうちに、甘えたかった。

これからどうすればいい?
父ちゃんがいないのに何をすればいい?
もっと褒めてほしかった。
よくやってるな、って。

あの日から毎日、ふとした瞬間に後悔します。
色んな人から、あとで後悔しないように、できることをしといた
ほうがいい、と聞いていたのに。

今、会えている人、話せている人は永遠ではないこと。
私には守るべき子どもがいること。

前に進まなきゃ。
数日後に燃えてしまう父ちゃん。
会えるうちに毎日顔出すね。

そして言うんだ
「ただいま、父ちゃん」
って。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?