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今月の野鳥(JB2017年1月号)
「あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。」(ヤコブの手紙3:7)
飼っていたキジバトをふと目を放した隙に野良猫に攫われてしまったという野鳥愛好家の発言から、愛好家、研究者と愛猫家と保護活動家の間で大論争になったのを、ツィッターで見た。野鳥研究者は、一貫して猫は外来動物(リビアイエネコが起源)であるから制御しなくてはという意見だし、野良猫の保護活動家は自分たちはそれをやっているという意見。一致するはずもない。今月の聖句、制御するという言葉は新約聖書に3回しか登場しない。飼いならす、支配するということが原義で、創造の神の人間に与えた役割を踏まえている。そこをもう一度考えたい。
ヤコブの手紙に使われている「制御する」は、英語ではto tameで決してto controlとかto manageではない。この言葉は「飼いならす」という意味を持つ言葉だが、自分の頭の中にある貧弱なボキャブラリーリストの中にはなかった。さて、原語のギリシャ語では、δαμάζω(ダマゾー)で、上記文中にあるとおり、ヤコブ書の3:7と3:8及びマルコ5:4にしか使われていない単語である。これを70人訳聖書に範囲を広げてもダニエル書2:40が付け加わるだけである。しかし、他のギリシャ語文献に手を広げてみると、ホメロスのイリアス、オデッセイアに頻繁に使われるし、ヘシオドスでも使われているところを見ると、随分と古い来歴を持つ単語というのがわかる。おそらく家畜の歴史と同じくらい古い言葉なのだろうなと思う。
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