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自己開示欲

自分のことを人に話すのが苦手だ。だいたいみんなそうなのかもしれないけれど。

自分のことなんか誰も興味がないだろうと思うし、そもそも誰に対しても嫌われるのがこわい。できれば無難なことしか言いたくない。
私コミュ障なんです、と会話内で言える人は、自分がコミュ障だと開示できてすごいなと思う。その時点で、コミュ障ではないじゃないかと思う。

SNSでも好きなものを好きと言うだけのことを、投稿するかしないかずっと迷って迷ってやっぱり辞めたりして。でも自己開示の練習だと思って、勇気を振り絞っていざ投稿したら、投稿から少なくとも1日は心臓がバクバクして落ち着かない。

それでも自己開示をしたいというのはどういうことだろう。

私は人目がめちゃくちゃ気になったり空気を読む・もしくは空気になるタイプで、自分を出さないよう出さないように生きてきた。もしくは学生時代は内輪では奇をてらったり、自分ではないキャラのような人格があったように思う。(それもみんな持っているだろうけど)

そのキャラのまま人と関わっていたので、心の距離は縮まらなかった。学校に行けば話す人はいるけれど、本当のことは言ってない。本当のことを言える人が喉から手が出る程欲しい。
たまにそんな私でも心を開いてくれ、本音を漏らしてくれる友人もいた。そんな貴重な人と親友になりたいと強く願っても、願っているだけではダメだった。こちらの自己開示(本音の提示)が必要だと、その当時はまったく気付かず、なんで私のことわかってくれないんだくらいに思ってる人間だった。

仕事上でも、例えば注意したり、ちょっとした意見を言ったり、そんな簡単なことができない。(特に年上や目上の人に対して)心臓は飛び出そうだし脂汗をかいて、いざ勇気を持って発言すると、思ってもいないことを言っていたりする。緊張しすぎておかしなことを言ってしまうのだ。単純に本音を言うこと自体に慣れていないせいかもしれない。

そこでnoteだ。

投稿する・自己開示することに慣れていくこと。自分の意見をまとめること。なんとなくのモヤモヤを形にする作業として、noteを少しずつ使っていけたら…と思う。

今は特に仲のいい遊んでくれる友達も数人いるが、今でも「お互いなんでも言える親友」みたいなものに憧れがある。何でも言える人なんていないのかもしれないけど。昔からの憧れなのでしょうがない。

それにはまずは私の自己開示が必要なんだよなぁと、自己開示欲に苛まされる毎日。でも私のことなんか誰も興味ないでしょうねという卑屈さと、自己開示して嫌われることへの恐怖という無限ループ。いつまでそんなこと言ってるんだろ。

課題が自己開示だと気づいただけでも良いのかも。遅すぎる気もするけど。意識して、ほんの少しずつでも、自己開示していけたら。

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