一杯のくずかごに紙コップ投げいれる何本の木をこれから殺す (白糸雅樹)

白糸さんの作品群に向き合って、実はしばらく悩んでいた。あまりにも詩人だからだ。一般的な短歌は意味がよくわかるように作られている。たぶん共感を求めていたり感動を分かち合おうとしているからだ。しかしこの作者は、誰にも共感を求めず媚びず、わかってもらおうという意図は微塵も感じられない。そこがおそろしくカッコよく詩的で素人離れしているのだ。そんな中でかろうじてわかりやすい一首がこれだ。描かれているシーンも実際に行われた行為だと思われるし、万人にとって共通の課題であるテーマが提示されている。「一杯のくずかご」は自室のものというよりは、皆が利用するところのものなのだろう。すでにいっぱいだなぁと思いながら、それを処理することもできずに自分もさらに投げ入れるのだ。「紙コップ」は実に優秀な器で、何を入れても繰り返しの使用に耐えるくらいの能力はある。しかしたいていは使い捨てにされてその短い生涯を終える。その原材料である「木」はこれからも人間のエゴのためにどれほど殺されるのだろうか。もちろん紙コップは一例にすぎなくて、数々の包装紙も紙ストローもチラシも封筒もなんでも一瞬の命だ。当たり前のように行った「投げいれる」行為から、地球規模の環境問題に思いを馳せるダイナミズムは、そうそう真似できない。これほど詩的なのにメッセージ性が強く、マイワールドにとどまらない声の力に、詩歌というものの可能性を見せてもらった。

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