サンダルが暗くて狭い下駄箱を飛び出してきて春が始まる (朝日)

いきなりのサンダルである。しかも飛び出してくるのである。そもそも短歌の初句がサンダルという発想にはなかなか至らない。これは#短歌桜の「さ」で始まる一首なのだが、春の歌で「サンダル」の起用に成功している例を私は初めて見た。「サンダル」は俳句であれば夏の季語であるから、この用い方は短歌にしかできない。いかにも冬ぽいブーツやモカシンがしまわれて代わりにサンダルが出てくるのであろう。冬眠を終えたように顔を出すのだから「春」であることに必然性がある。およそ半年間、暗くて狭いところで我慢していたらしいサンダルの気持ちが、春を待つすべての人の気持ちと重なって普遍的な印象を作るのだ。「下駄箱」というノスタルジックな言い方も、田舎の春を思わせてなおさら親しみ深い。まだ素足で履いてもらうまでには間があるかもしれないが、とりあえず気持ちは春の到来を悦び、前向きになれそうな一首なのである。

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