駅前のイオン・西友はしごする父の愛とか売つてないかと (秋月祐一)

第二歌集「この巻尺ぜんぶ伸ばしてみようよと深夜の路上に連れてかれてく」からの一首である。この歌集名自体が短歌になっているので話が複雑になるかもしれないが、この作者の作品は、“必ず誰かがいる”ところが特徴になっていると私は思う。主体以外の生き物が登場して主体との関係性を見せてくれる仕立てなのだが、そこには常にリアリティが感じられるから、この主体は作者なのだなと安心する。短詩の数々の中でも主体が作者であるものを私は短歌だと思っているから、そこに一致のないレプリカを認めたくない。作者の精神がそっくり主体に投影された上で、そこに絡む生き物との間柄まで晒してくれるなどということは、いい人にしかできない技だ。この一首は実にわかりやすくて、言葉通りの内容なのだが、ぐっとくる。イオンや西友はもともと品揃え抜群であることに加え、ない商品はどんどんPBとして開発されている。それほどの店に「父の愛」ごときが売っていないはずがないのだ。しかし、ないのだ。ないと困ってしまうのだ。自分の自我が父を意識したころの父の年齢になった今だからこそ、父の愛を確かめたいのだ。寺山修司が、母や姉をよく売り物や付録にして求めていたいたように、スーパーで売っている普通の愛が欲しい作者の思いが刺さる一首ではないか。


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