幸せなふりをしないで私なら襟の黄ばんだシャツは着せない(澪那本気子)

「襟」の題詠作品である。私も「襟」という単語から連想するのは男性のYシャツの襟一択である。「衿」ではなく「襟」の文字に漂うタブーめいた雰囲気と、ビジネスシーンのきっちりした格好よさから、色気以外のものを感じないからだ。そういう意味ですでに、次席だったこの歌は首席の歌よりも遥かに魅力的だった。そこに加えて二句切れの命令形の潔さと、結句の否定形にあふれる意志の強さよ。そんな構成の完璧さに加えて、私には内容のディープな切なさが胸に響いてしかたない。襟の黄ばみがわかるのは、彼がシャツを脱いだときである。既婚者である彼は「幸せなふり」をして家庭を維持している。社会的な立場上の選択に違いない。でも、できることなら全てを棄てて今の恋に突き進んで来てほしいと思う「私」。もし一緒になったら、彼を愛して支え続けてゆく自信があるのだ。傍からみたらふしだらに見える関係でも、その陰にある真摯な愛情。涙なしには読めなかった私の恋愛事情はここではノーコメントである。

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