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「万葉秀歌」の感想
2009年に購入して読んだ、岩波新書の斎藤茂吉著の「万葉秀歌」上下巻の感想です。
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さて、まずはこの本を買って、読み始めた後に気付いたことを書きます。
……この本、古い。
本屋の店頭で、一番薄くて読みやすそうだったので買ったのですが、内容も文体も非常に古めかしく、現代人の私には、正直言って辛かったです。
それがよく分かるのが奥付です。
1938年11月20日 第1刷発行
1953年 7月31日 第22刷発行
1968年11月25日 第44刷発行
2008年11月14日 第100刷発行
1938年……。買った時点で、七十一年前の本です。
さすがに、これは古い。
この1938年が、どういった年かと言うと、日中戦争勃発(1937年)の一年前です。その翌年1938年の10月21日に、日本軍が広東を占領しています。この本は、この広東占領の約1ヵ月後に発行されています。
そういった時代の本ですので、「万葉集の秀歌を集めた」この本自体が「古典」になりかけています。実際、文章も形式も古かったです。
一応補足として、著者死後の第44刷の時点で、一部、現代向けにアレンジされたそうです。
しかし、基本的には七十年以上前の本です。改変は最小限に留めているそうですので。
まあ、大きな改変があったとしても、第44刷から四十年以上が経っていますし……。
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著者について少し書いておきます。以下、Wikipedia転載です。
斎藤茂吉(さいとう もきち、1882年5月14日(戸籍では7月27日) - 1953年2月25日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E8%8C%82%E5%90%89
・歌人、精神科医。
・1882年、出生。
・1910年、東京帝国大学医科大学医学科卒業。
・1938年、「万葉秀歌」第1刷発行。
・1940年、『柿本人麿』で帝国学士院賞受賞。
・1951年、文化勲章受章。
・1953年、死去。
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さて、本について、どういった点が古かったのかを書いておきます。
以下、私が見て「古い」と感じた点です。
1.天皇やその血縁者に対する敬語が甚だしい。
2.参考にしている文献等が古い。
3.漢語の読みと訳が付いていない。
4.年号に西暦が付いていない。
5.訳が付いていない歌がある。
6.接続詞のいくつかが漢字。
7.文法の解説がほとんどない。
以下、それぞれについて解説していきます。
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1.天皇やその血縁者に対する敬語が甚だしい。
だいぶ読みにくいです。特に序盤、敬語が激しすぎて本文を圧迫しています。削ると、だいぶ短くなると思います。かなり辟易しました。
まあ、そういう時代でしたので、仕方がないのだろうなと思います。
2.参考にしている文献等が古い。
江戸時代の参考文献が多いです。その後、万葉集はかなり研究されているはずなので、最新の研究成果が反映された本を読み直さないといけないと思いました。
……まだ、読んでいませんが。
3.漢語の読みと訳が付いていない。
当時の知識人には必要なかったのかもしれませんが、今の人間が新書で読むにはハードルが高すぎです。
意味は分かりますが、読み方については正しく読めていないはずです。
4.年号に西暦が付いていない。
これはけっこう致命的です。現在の新書として売っているのなら、編集部が付けるべきだと思います。
5.訳が付いていない歌がある。
「読めば分かるだろう」とばかりに、訳が付いていない歌がちらほらとあります。現代人には辛いです。
6.接続詞のいくつかが漢字。
まあ、読めるのでこれはよいです。
7.文法の解説がほとんどない。
この部分は、本の方向性だなと思いました。「万葉集の秀歌を読むための本」ではなく、「斎藤茂吉が読んで解釈する万葉集を拝聴する本」といった感じでした。
なので、この本を読んでも、万葉集を読めるようにはなりません。
万葉集の本というよりは、斎藤茂吉の本という感じでした。
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また、この本の著者特有の偏った点もありましたので、その点も書きます。
1.柿本人麿に近いか否かで評価の大半が決まっている。
2.音の響きがよいと言っている割には、読みが不確定であるという解説が多い。
以下、それぞれについて解説します。
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1.柿本人麿に近いか否かで評価の大半が決まっている。
柿本人麿が好きで好きでたまらない斎藤茂吉さんなので、そこにどれだけ近いかが歌の評価基準になっています。
なので、古今集、新古今集と、時代が下がるごとに、評価が下がります。また、同じ万葉集内でも、柿本人麿より後の時代の人は評価が下がります。
この評価基準について、「さすがにそれはどうか」と思いました。
個人的な感想ですが、柿本人麿の頃は、あまりにも言葉が、現代日本語から離れすぎていて、訳を読んで「ああ、そういう意味だったのか」と分かるぐらいにしか意味が伝わってきません。
少し下った大伴家持あたりの頃になると、だいぶ現代人でも意味が伝わってきて「なるほど、なるほど」と読めます。
なのでまあ、この部分の評価に関しては、「斎藤茂吉さんだから」ということで、話半分に聞いておかないといけないのかなと思いました。
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2.音の響きがよいと言っている割には、読みが不確定であるという解説が多い。
この本では、歌について、二つの観点から評価しています。歌の内容や表現についてと、音の響きについてです。
前者の内容や表現は、好みの問題なので、「この人は、こういったものが好きなのだな」という程度に見ておけばよいと思いました。
後者の音の響きについては、ちょっと疑問に思いました。
この本に書いてあることによると、万葉集の歌は、万葉仮名の解釈の仕方によって読みが人によって違うそうです。
そして、この本には、「誰それはこう読む」といった解説が多く出ていて、著者はその中から、自分が好みのものを選び、その読みを基準に評価をくだしています。
その様子を見て、「それって音の響きがよいのではなくて、自分の好みの音を選んでいるだけなんじゃ……」と思いました。
私は、万葉集についても、歌についても専門家ではないです。なので個人的な感想なのですが、「あくまで一個人の感想を書いた本だよな」というのが、この本についての正直な印象でした。
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というわけで、この本を元に感想を書いてよいのかどうなのか甚だ疑問なのですが、これから「万葉秀歌」の上巻に掲載されている歌の中から、これはと思った歌を抜き出して書きます。
あくまで、私の好みで選んだ作品ですので、世間の評価とは違うと思います。
また、整理、歌意、感想は、本を参考にして、私が勝手に付けています。文法的に誤っている部分もあると思います。
この「万葉秀歌」を元にして、個人の秀歌を選ぶのは、この本の冒頭で著者が推奨していた使い方です。なので、こういったことをするのは、本書の正しい使い方だと思います。
それでは、私が選んだ秀歌を紹介していきたいと思います。
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目次と序:
https://note.mu/yanai/n/n375976ce6891
参考文献:
岩波新書「万葉秀歌」上下巻(斎藤 茂吉)
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