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サマーファイトシリーズ 東京の城跡 葛西城址 頑張った葛飾区


 東京の城跡と言ふと、先ずは日本最大の城域、天守閣の威容を誇った、現在の皇居の江戸城跡。拙も、江戸城は、名古屋市に習って、天守閣復原されるべき派ではございますが、現在、徳川家が新たに礎を築いた江戸の台地の江戸城の、天守閣復原計画の旗を挙げているのが、前の住民の太田道灌公の子孫、18代 太田資暁氏が、NPO法人 江戸城再建を目指す会の会長を務められています。
 太田さんのお宅でしたが、徳川さんがさらに土台を高め、敷地を八倍⁇にして、新築、さらに今の東京で言えば、首都高がスムーズに在るのは江戸城の濠のおかげさまでございますれば、そこは有り難がるのですが、復原計画の会の会長が、前の家主さんの子孫だと。何かしらの縁なのでせうか。
 さらに時代を遡らせて、織田信長の安土城(遡ったから織田信長と、呼び捨てなのでは無く、歴史上の人物ですから呼び捨てでも構わないのですが、徳川家、太田家は、子孫の方が大いなる活動をされているので、徳川家康公、太田道灌公、まぁ落語、とりわけ柳家では『道灌』といふ、道灌公呼び捨て落語がありんすが。)、天守閣から見下ろすところに天皇行幸の際の御殿が建てられていました。
織田信長の激烈なる気性につきましては、日本の歴史の、【だいたい嘘】論理で創られたところが大きく、講釈師や小説家などの、先生!と呼ばれる種族が、先生‼︎と呼ばせて奮反り返って広げた作業で、今日では、随分とイメージと違って、天皇家、公家に気を遣って政をしていたとも検証されております。が。
安土城天守閣と天皇御宿泊施設は如何であったのか⁇見下ろすこととなるが⁇
 要するに、江戸城天守閣復原につきましては、そこが問題で、日本の場合はいろいろな路が、あらかじめ用意されている訳で、東京奠都ですから、てんと。
厳密には日本の首都は、京都と東京、とも考えられるわけで、そこは、またあらためましてとして、観光客が皇居を見下ろすという問題があるのですが、まぁ先の話でございます。

東京の城跡
 天守閣が復原されなくとも、コロナ禍の前までは、江戸城天守台に、外国人の観光客の皆さまが多かった。南米の方なんかも多かったので、これは本当にワールドワイドレスリングフェデレーションWWWFだなぁ!と思っておりました。
大手門、平川門、北桔橋門から入ります。東御苑は広大なところを開放され、月曜日、金曜日は休みですが、事前にご確認ください。無料です って、江戸城天守台のご案内にはあらず。
 葛西城址です、葛飾区。
ある時、東京では物流の大動脈となる環状道路、環七、この環七が城跡の真ん真ん中を通されていることに気付きました。
通されている、通っている、と、いふと耳心地がよいですが、城址ぶった切られています。
上司ブッタ切られています。
😚😗😛😛😛
 中抜きばかりで部下、後輩に珈琲、水さえも与えようとしない姑息な者だからブッタ切られて当然だと。。 
中抜きね、東京都か?国土交通省か⁇
ここは一つ一番物分かりがよさそうな、当該地域の葛飾区に話を伺うこととする。
葛飾区役所に連絡を取ると、葛飾区郷土と天文の博物館へとご案内いただきまして。
これが大切でございます。自治体に博物館、あるいは美術館などが、あるやなしや?
図書館は充実しているか⁇
お城に関して言えば、貴方の故郷の城は、市民も観光客も気づかないけれど、前の市長(または知事)が、建設会社の甘い罠に引っかかるどころか、しがみついて、県外に土地と別荘を買って、さらに愛人(敬天愛人の愛人ではない方の愛人)に店までやらせる費用を受け取っている、そんな中抜きで造られた復興のお城どころか、模擬天守なんだぞ〜!そんな天守は無かったんだぞ〜‼︎
といふ話は、全国津々浦和浦和にある話なのでございます。
 さて城跡に主要環状道路を通されました土豪の城から武蔵の国と下総の国の攻めぎ合い、小田原北条氏の支城となったと伝わっております葛西城址の物語、このあたりにて前編とさせていただきます。
ごきげんようさようなら✨
 お城おたく(拙を含めお城をたくは、だいたい撮り城、眺め城、佇み城、登り城なので、おソトなのですが。)
でさえも、葛飾区以外の方からワクワク感をもらえない葛西城址で前編て何だょ🎶
前編にございます。

#葛飾区

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