そうありたいという「願い」による「振る舞い」が人間の"本性"であるということ

よく、「追い詰められたときの言動がその人の本性である」って言われることも多いけど、私はそれは「その人が追い詰められたときの言動」であり、「その人の本性」ではないと思ってます。
では、何がその人の本性かというと、記事タイトルが全てなんですけど、「このような自分でありたいと願い、そう振る舞ったときの言動」がその人の本性なのだと思います。
人によってはそれはただの仮面であり、本性ではないという人もいると思いますが、人間の「そうありたいという願いによって発生する言動」は、そう思って振る舞ってることはあえて他人に言わない限り他人には分からないじゃないですか(すごく察しの良い人は分かるのかもしれん、知らんけど)。
まあ、なんというか、その人の「そうありたい」という願いは、それ自体がとても煌めいてるじゃないですか。その煌めきを大切にしたい、そんな気持ちです。
願いという煌めきを心に秘めて「そうありたい自分」を演じてる人のことは素敵だなと思いますし尊敬します。
私もそうでありたいけど、何が「自分がなりたい自分」であるかよく分かってません。よく分かってないのでネットに転がってる心理テストをお遊び感覚でやったりしてます。はい。なんかそのへん、ロールモデルとか参考にして作っていきたいですね。

そんな感じです。

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