見出し画像

可愛い子には旅をさせろ

濱村悠太郎。小学校でYANAGIHARAジムに入会。

現在は駒沢大学ボクシング部四年生なので、YANAGIHARAジム所属ではないが、かれこれ10年のボクシングキャリアを誇る。

この濱村悠太郎から後に入会してきた子が、僕が育てた自信作の子達と言える。

それまでは、僕は他のジムでトレーナーをしており、他所から移籍してきた成人したプロ選手や、初心者の成人専門でボクシングを通じ若手を見ていた。

YANAGIHARAジムを設立し、2年でU15の全日本チャンピオンができ、その後入会した悠太郎を、ジム設立4年で、アマチュア全国チャンピオンに育てた。

僕は今、noteという媒体で有料の教育記事を連載執筆中である。

お陰様で売れ行きは良い。https://note.com/muha8787/n/n7aad082f8c85

ここでは、僕の過去をほとんど晒し、僕しか経験していなく、僕にしか出来ない教育論を書いている。

てめえでいうのも何だが、オモロい!しかし恥ずかしい。

綺麗事で教育はできないので、余生はプロボクシングと教育、残りの半分の時間は、ビジネスをしようと、昨年から調整しやっと今、ボクシングとプライベート。

執筆とビジネスに専念できる環境にある。

多分、今日本で一番幸せな男は僕だと自負している(笑)。

また話が逸れたので、強引に本題に戻す。

元々いつか本を出そうと思ってた時、悠太郎から「会長はnoteて言うのをやれば、絶対売れますよ」と薦められ書き出した。

悠太郎以前の教え子は、成人も含め殆どが失敗だと言っても、過言ではない。

良い子ばかりだが、人格においては自信を持って人様に出せる子は、ついぞ誰1人育てれなかった。それは僕自身の勉強不足もある。

実は悠太郎は、YANAGIHARAジムで2番目に入会した小学生である。

1人目はボクシングのセンスもあり、性格も素直だった。

しかし残念ながら、この子の父親に問題があり、折角育てたのにボクシングでは僕の手から離れた後、親がアホなのも手伝いボクシングを辞めた。

この時は遠い高校に特待で行ったという事もあり、どうする事も出来なかった。

親のせいで子供が犠牲になるという経験を、この時初めて知った。悔しかった。

その後、悠太郎を全日本チャンピオンにし、今も毎年小さな子が入会してくる。

一つ言えるのは、親がアホなら子供が可哀想だ。

その点、悠太郎の場合特にお母さんが素晴らしく、お陰様で真っ直ぐで強い子になった。

今ではコロナで、東京にある駒沢大に帰れず、毎日YANAGIHARAジムで練習し、YANAGIHARAジムのジム頭の様、後輩に指導してくれるので、僕がジムに行っても半分以上、僕がやることがない。

可愛い子には旅をさせろ、と、まあ昔の人は本当にいい事を言う。YANAGIHARAジムを卒業後、高校は日章学園ボクシング部に行き行儀を覚え、駒沢大学では更に一段と大きくなっている。

僕たち大人も、悠太郎をはじめ子供から学ぶことは多い。

石の上にも三年、とはよく言ったもので、僕はこれからも、悠太郎に続く子供達を育てて、北九州への恩返しを永遠にしようと思う。


画像1

画像2

画像3


宜しければサポートお願い致します。正しい教育活動に使います。今後とも宜しくお願い致します。