魂がふるえるってなんだろう。
ずっとぞわぞわしていてた。
こわいでもない、なんというか、どちらかというと痛いみたいな、それにちかい感覚で。
ちょっと辛くて涙がずっと目に張っていたように思う。これが、魂がふるえるということなのか、わからない。よかったと手放しにいっていい感覚なのかも。
展示をみている間中、ずっと考えていたけれど、はっきりとは分からなかった。
ピアノと椅子が煤をまとったなかで、黒い糸に囲まれた人々、その中でポーズをとったり、写真をとったりしている人たち。
その作品を抜けた後に振り返ると、まるで火事の中で舞っているようにも見えて、私にはどうにもあの中でよく見える写真をとろうという気持ちにはなれなかった。
というよりは、とってもみたけれど写真にうつす被写体として向き合おうという気持ちには、なんだかなれなかった。
生きること、考えること、に、ここまで私は向き合い考えることが出来るだろうか。
そんな思考の塊をぬけて、出口のエスカレーターを下る。
頭上、白い輪郭を持って登っていく船は、まだ展示を見ていない、赤でもない黒でもない、まだあの世界を知らない私たちが誘われていく、そんな姿を表しているのかもしれないと。
逆方向へすれ違う人々の顔を見てふと、思った。
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