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安謝市場

安謝市場通り(那覇市安謝242-11、JAおきなわ安謝支店付近)
現在も以前より少なくなったとはいえ、通りの左右に店舗が並んでいる


この市場を示す場合、「安謝市場通り」と「トンネル通り」という言い方がなされています。両者の使い分けは厳密にあるか分からないのですが、安謝出身の人に「安謝市場は」という話をすると「ああ、トンネル通り」と返されることが何度かありました。なので正確には「トンネル通り沿いに並ぶ店=安謝市場」なのでしょうか。みなよく分からず、厳密に区分されている様子でもなさそうです。ただ、不動産の広告など、最近は「安謝市場通り」という表記も目にします。

かつては、この高架下のトンネル付近に店や野菜売りの行商が集まって賑やかだったそう。野菜売りは、ごく最近まで見かけたらしく、一度見てみたかったです。あるいは今も早朝に行けば見られるのかもしれません。ちなみに今ではトンネルというより高架下の通路という趣ですが、以前は道路のために築かれた堤の下を1車線分の穴が通りぬける、まさにトンネルだったとか。

そばにはバス停があり、このトンネルを中心に賑わいが周囲に広がったのだろう、と推測します。その賑わいが続く道がトンネル通りであり、安謝市場である、という構図だったのではないでしょうか。ちょうど東京・大阪の近郊で駅前に商店街が伸びるのと同じかたちです。

安謝の「トンネル」
掲示板がある、ということはこのトンネルは今も地域の人にとっては人が行き交う場所、という認識があるのかもしれません
トンネルを出て海側へ続く安謝市場の通り
ことぶき食堂の看板テントを飾る草花が印象的です
横道にそれても店舗らしい建物が続きます。一本道だけでは終わらない賑わいがかつては存在したのだろう、と思いました
八百屋さんが今も営業中、この日はもう閉店したけれど空いている時はいつも賑わっています
八百屋さんの先には制服や学用品を扱う衣料品店も
ふたたびトンネルからの通りに戻ります。まだまだ続く市場
最近急速に減った、街の金融機関という佇まいのJA。金融機関は、人や物の集積がある場所に置かれるので、安謝市場は今もそれなりに集積がある、といえるのでしょうか
この辺りまで来ると、市場は終わり。この先に見える駐車場が、かつては海岸でした
「琉球銀行安謝支店安謝市場出張所」と記された切文字看板の痕
「安謝市場」という文字が目に見えて存在したのは、この看板痕しかありませんでした
トンネルと安謝バス停。階段を上がった上にあるバス停は立派で、バス停というよりまるで駅のようです
安謝バス停は中北部各地から那覇への路線が集まり、また市内の各地点に伸びる結節点です。このようなバス路線が集まる場所だったのも、市場が成り立った要因かもしれません

2023年の1月から2月にかけて、那覇市内の公設市場と公設市場跡の10カ所と、他に市場と呼ばれる場所8カ所、合わせて18カ所の市場を回った訪問記を制作しました。

市場の古本屋ウララさんで開催する「おかえりなさい、公設市場」展で販売しています。ぜひご覧ください。
urarabooks.ti-da.net/a12455905.html

「マチグワカイ ユーメンソーチェビーサヤー(市場にようこそいらっしゃいました)」というタイトルは、以前の第一牧志公設市場に掲げられていた古い看板からとりました

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