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高梁市武家屋敷 旧埴原家

 岡山県にある武家屋敷「旧埴原はいばら家」に行きました。

埴原家の由来
 南北に通る上家中かみかちゅう屋敷地の石火矢町にある武家屋敷・旧埴原家住宅は、江戸時代中期から後期にかけて、百二十石から百五十石取りで、近習きんじゅう役や番頭ばんがしら役などを勤めた武士の住宅です。
 石火矢町は、このように現在も武家屋敷の趣が感じられる街並みとなっています。

石火矢町

 こちらが旧埴原家です。
 江戸後期の建築として平屋建て、桟瓦葺きさんがわらぶき箕甲みのこう・入母屋造りで大ぶりな三ツ花懸魚みつばなげぎょを取り付け、玄関には幅二問の式台を設け、玄関の間の正面には一間半の棚を設けています。

旧埴原家
玄関

 玄関では、さんじゅーろーがお出迎えしてくれました。

さんじゅーろー

 こちらは広敷です。

広敷

 こちらは土間です。

土間

 広敷には掛軸が飾られていました。

 外には蔵もありました。

 庭もあります。

 こちらは座敷です。兜と刀が飾ってありました。座敷は本床造りとなっています。このような床の間に刀は憧れがあります。

座敷

 付書院には禅宗風の火燈窓かとうまどが残っています。

 ほかにも、色々な展示物がありました。

 庭は立派で、縁側に座って眺めると気持ちがよいです。

 旧埴原家住宅は、藩主勝政公の生母の実家でもあるため、松山城下の武家屋敷としては寺院建築や数寄屋風の要素を取り入れた珍しい造りであり、市の重要文化財に指定されています。

 昔ながらの街並みや、武家屋敷の中を見ることが出来てよかったです。

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