メディアの話その15。人類最古の仕事は娼婦じゃなくて編集である。
「人類最古の仕事は、売春である」というという決め台詞を昔どこかで読んだ。読んだことあるよ、ってひと、いらっしゃるでしょう。
いったい出典は何なのか? ウェブだとすぐに調べがつくかもしれないけど、ここではあえて調べない。話の本筋はそっちじゃないので。
売春というのは、性行為の商品化である。
なぜ性行為が商品になるのか。
それは「気持ちいい」からである。お金を払ってでも「気持ちいい」がほしい。そういうひと(主に男子)がたくさんいたので、売春は仕事になった。
なぜ性行為は「気持ちいい」のか。人類が考えたことではない。人類が開発したものでもない。この世で一番利己的にして、限定的にはきわめて慈悲溢れるDNAさまが、人類に与えてくれた「ご褒美」。それが「性行為は気持ちいい」である。
DNAさまの目的は、自分自身をなるべくたくさん複製して、次世代にその複製を残すことにある(比喩ですね、比喩ですよ、いわずもがなですが)。
となると、DNAさまは乗っかっている生き物にがんばって子作りをしてもらわねばならない。子供ができないと次世代にDNAの複製を伝えられないからである。でも、よく考えてみてください。相手をみつけて、口説き落として、性行為とやらをして、あげくのはてにメスはお腹が大きくなって赤ん坊が生まれ、一家総出で育てなければいけない。
なんと面倒な。
この面倒を超える「ご褒美」を与えないと、人類はDNAを次世代に継がせなくなるぞ。だらだらゲームとかしたり、満喫で漫画を読みふけったり、SNSを日がなパトロールをして一生を終えてしまうぞ。
こりゃまずい。
DNAさまは、人類に対し、しちめんどくさい「性行為」に「気持ちいい」というご褒美を与えたのであった。
そこで、人類はせっせせっせと行為を行い、出アフリカのときは数百人だか数千人だかの人口は、7万年経ったら70億人を超えていた。
DNAさまの戦略、大成功である。
が、人類はその間にささやかなる抵抗をDNAさまに対して行うのであった。
それが「売春」である。
性行為に伴う「気持ちいい」はみんなほしいんだけど、実はけっこう手に入れるのが難しい。なんだか一部の個体だけがたくさん手に入れられて、あぶれている個体がいっぱいいるぞ。それに手に入れたはいいけど、今度はおまけに子供なんかができちゃったりして、アフターケアが大変だ。なんとかこの「気持ちいい」だけを手に入れられないか。
かくして人類は、性行為に伴う「気持ちいい」だけを取り出し、それを商品とすることに成功した。子作り、子育てなしの「気持ちいい」(ときどき失敗してついてくることもあるけれど、それはあくまで失敗事例)。
子作り子育て抜きというのは、DNAさまの本意を損なうものである。愚かな人類に「気持ちいい」を与えてあげたのは、DNAさまの複製仕事をお手伝いするためであったのだから。
かくして、人類はDNAさまにちょびっとだけ反逆した。それが「売春」というお仕事である。
前置きが実に長くなった。
この「売春」よりはるかに古いお仕事がある。
それが「編集」だ。
編集というと、漫画家を見張ったり、新人記者の原稿をビリビリやぶったり、逃げ出した作家の代わりにコラムを代筆したり、会社の金で銀座のお姉さんに貢いだり、という古典的な職業を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれないが、それらは編集の仕事のごく一部である。
編集とはなにか。
編集とは、そのへんのものAとそのへんのものBを組み合わせて、いままでにない商品だのサービスだのCを「発明」しちゃう仕事のこと、すべて、である。
さらにその発明した商品Cに、別の発明した商品Dを組み合わせて、まったく異なるサービスEをつくっちゃう、なんてこともある。これももちろん編集である。
アフリカで人類のご先祖様は、そこらへんに落ちている石のかけらをつかって、木を切ることを覚えたり、肉をさばいたりすることを覚えた。
その石のかけらを棒切れにツタで縛りつけたら、もっと手際よく木を切ったり、獲物をやっつけたりできるようになった。
草原に雷が落ちて野火であたりが焼き払われた。その火を持ってきて、お肉を焼いたら美味しかった。火を木につけてふりまわしたら、おっかないライオンが逃げていった。火、つかえるじゃん。火がずっと消えないように、木をあつめてきて、仲間と交代で火を絶やさないようにした。
以上、いずれも「編集」である。
みんな大好きレヴィ・ストロース(昔、レヴィ・ストロースのスペルがリーヴァイ・ストラウスとおんなじであることに気づき、さすが「野生の思考」を書くひとは野生でもっともつかえる衣料の発明者でもあるんだなあ、というウソを考えた。が、結局使わなかったことに今気づいた)が、ありあわせのものを組み合わせえて新しいなにかをつくる行為を「プリコラージュ」と称したが、プリコラージュ」とはまさに「編集」であるわけです。
つまり、人類は、編集という仕事に就職したことで、類人猿を卒業したのだ。(類人猿も「編集」するんですけどね)
その昔、アメックスの広告に
「職業、編集者。週末、少年になる」、というのがあって、
週末、山だの海だのでカブトムシやカニをいい年こいておっかけてる俺のことではないか、と思ったことがあるが、
なに、人類はそもそもみんな「職業、編集者」だったのである。
で、週末どころか毎日少年のように生き物を追いかけて獲物として捕まえていたのであった。
私が「編集」という仕事を知ったのは、高校時代に南伸坊さんの本を読んだのがきっかけだった。
『さる業界の人々』。こちらにはシンボーさんのお友達である、櫻木徹郎さんと末井昭さんが登場する。さる業界とはエロ本業界のことで、この2人の編集者が、どうやってエロを編集するのか、が描かれている。
予算がなかったり、ケーサツのご厄介になったり、あっせんされた女の子がキレイじゃなかったり。さまざまなトラブルをすべて面白がって、エロを編集し、エロ本を商品にする。みんなのもとめるエロの「気持ちいい」をかたちにする。
そのうち、2人のつくるエロ雑誌は、エロを逸脱し、「面白い」が商品価値のメインになり、さまざまな才能が発掘され、世に羽ばたくようになる。
世界最古の仕事は「売春」といわれたが、あれは性行為にともなう「気持ちいい」を商品にしたものだ。「売春」もすでにある人間の性癖を商品にする、という「編集」によって生まれたわけである。
70年代末に櫻木さんや末井さんが実践していたのも、売春を欲する人間の性行為にともなう「気持ちいい」をどうやったら面白い「商品」にできるのか、という試みであった。
人類は編集するサルとして生まれた。
そしてたとえば、性行為にともなう「気持ちいい」を編集し続けている。
ちゃんとお話が1周しました。
おまけ。
シンボーさんは処女作の『面白くって大丈夫』で
「マクルーハンは面白い! だってこのおっさんはオモシロ主義で、編集者だからね」と断言している。
そのマクルーハンは「メディア論」の「オートメーション」の章で、
「オートメーションは一般教養教育=リベラルエジュケーションを必須のものとする」と述べている。
いまでいうところのリベラルアーツが必須になる、と述べている。
なぜか。
「自動制御機構の電気時代は、突如として、先行する機械時代の機械的、専門分化的労役から人間を解放する。ちょうど機械と自動車が馬を労役から解放して娯楽の分野に投げ入れたように、オートメーションは人にたいして同じことを果たす」
「われわれは突如として自由という脅威にさらされ、社会において自己雇用をおこない、想像力によってそこに参加していく内的能力に重い負担を課せられることになる」
いまAIが出てきてシンギュラリティを心配しているひとが言っていることをマクルーハンは50数年前にすでに予言していた。いや、逆にいえばAIはオートメーションの延長に過ぎない、ともいえる。
そしてマクルーハンはこう結ぶ。
「人びとは、突然、知識の遊牧民的採集者となった」
だから、教養が必要、というわけである。
まだ続きます。
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