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大東京カワセミ日記154 20230114 カワセミの住む街は、いい街。

授業準備と複数の会議で、ずーっと大学の部屋に閉じこもっている。

でも、昨年末から大学近所の公園で、カワセミ2羽と、時々現れるオオタカをお昼ご飯仲間にしたので、(私はドイツパン)(カワセミはブルーギル)(オオタカはハトとインコ)、昼休みが楽しくなった。


2020年春からのコロナ禍。最初の1年はまさに引きこもり状態だった。

おかげで自宅で「国道16号線」を執筆できた。

暇潰しはお絵描きだった。

2021年春、親父が死んだ前後に、自宅近所でカワセミに偶然出会い、私の環世界にカワセミが暮らすようになった。

いったん、自分の環世界にカワセミが暮らし始めると、あちこちでカワセミに出会うようになる。

この2年間で、都心の自宅近所と大学通勤途中でカワセミに出会った場所(野鳥公園や新宿御苑などを除く)は、全部で四箇所。

うち三箇所では、子育てから巣立ちまでが私の環世界で行われた。

さらにそのうち三箇所では、オオタカ、ハヤブサ、ツミといった猛禽類にも出会った。

実は、鳥については2021年のカワセミが私の環世界に住み着くまで、あまりちゃんと認識してなかった。

私の環世界に鳥があんまりいなかった。

それがカワセミが暮らすようになり、自宅では2021年からストーカー的に私を追いかけ回すメスのセキセイインコが自宅でリアルに同居するようになり、鳥が環世界の重要な登場人物となった。

定点観測マニアなので、それぞれのカワセミの暮らしを隙間時間を使って記録していた。

ふと気づいた。

カワセミがいる都会の街は、「いい街」である、ということだ。

あまりにざっくりしていて申し訳ない。

が「いい街」としか言いようがないのだ。

なぜか。それはカワセミが暮らせる、カワセミの環世界に入るとわかる。

カワセミの環世界に必要なものは3つしかない。

観察で分かったことだ。

一番目。ある程度の規模の「水面」だ。

長くても(川)、丸くても(池)、どっちでもいい。


ここに2羽のオスとメスとが普段はナワバリを持って別居生活できるくらいのスペースである必要がある。でないと、子育てまで行かない。

大した規模じゃない。川でいうと300メートル程度でいい。

つまり500メートルほどあればいい。

そして、その川は深くない方がいい。


50センチからせいぜい1メートルないか。理由は後述する。

2つめの条件は、その水辺に「餌」があることだ。

当たり前である。

餌は、魚か甲殻類である。

ただし、大きいものは食べられない。

コイは稚魚ならともかく成魚は食べられない。


すると、ここでハードルがある。それは、カワセミが食べられる数センチから10センチ程度の魚や甲殻類が、通年居る場所っていうのは、案外限られているのだ。

おそらくカワセミがいるかどうかの最大の条件は、餌のサイズの魚がいるかどうか。である。神田川の下流なんかは巨大なコイはいるけど、小魚が見つけにくい。深さがあるので、そこにはウキゴリとかチチブとかいるはずだけど、カワセミはあんまり深くは潜れない。そもそも目視できない。

3つ目の条件は、垂直に切り立った崖と、巣穴を作る場所があること。

カワセミは春から秋口にかけて、1〜2回繁殖をする。

繁殖場所は、水辺近くの土手の崖。ここに穴を掘って子育てを穴の中でする。

以上だ。この3条件が揃ってないとカワセミは暮らせない。

逆に言えば、揃っていれば、意外な場所でも暮らしている。

実は1番目と2番目と3番目。

都心の川のおそらく大半が、この要素をかなり満たしている。

というのも、下水処理のレベルが高くなったため、都心の川は、どこも生き物が暮らせるレベルの水質だからだ。

例えば、私は見てないけれど、渋谷川下流の、白金近くにもカワセミ、暮らしている。水、きれいなんですね。

この場合のきれいとは、カワセミの餌となる魚と甲殻類が暮らせればいいレベル。

種類は問わない。

私の観察では、モツゴ、ボラの子供、ブルーギルの子供、スミウキゴリ、中国産ヌマエビ、アメリカザリガニ。都心のカワセミのメインディッシュである。


また、巣穴についても問題ない。なんとコンクリ三面ばりの川の、水抜きの穴で、子育てをしていたのだ。二箇所で確認している。


多自然型の土手が用意されてなくても、実は穴を掘る手間も省け、カワセミは楽々と都会のマンションで子育てをしているのであった。


じゃあ、以上のカワセミの環世界が揃った街ってどういうところか。

下水が浄化されてコンクリート3面ばりだけど魚の泳いでいる浅い川やそれなりの規模の大きな池のある公園があるところ、である。

こういう川は、人間の間世界からするとどんな場所になっているか。

臭くないきれいになった川沿いは、桜並木があったり、遊歩道が充実したり。この20年で、ばっちい下水道が、デートできるルートに変わった。

カワセミが暮らす隣には、おしゃれなカフェと気の利いた本屋と素敵ブティックがある。あるいは、ゆったりとした緑地公園がある。

ただ歩いているだけで楽しい。緑もあるし水辺もある。カフェもある。

そうそう、都会におけるカワセミの環世界は、犬の環世界と重なっている。犬の散歩をしている人がとっても多いのだ。

人(と犬)の環世界と、カワセミの環世界。同じ場所で重なっているけど、気が付かない限り、お互い無干渉である。感覚器が向いている方向が違うから。当たり前である。カワセミは花見をしないし、犬を連れてないし、カフェにも入らない。

でも、カワセミが好む環世界は、人間が好む環世界でもある。結果としてだけど。

だから「いい街」。

カワセミが住む街は、いい街。

私の「ご近所バース論」であります。

ちなみにこのご近所バースには美味しいパン屋さんとテイクアウトのコーヒーも必須である。

このうち3箇所は、カブトムシもいます、都心ですが。

では、なぜカワセミの住む街は、いい街、と感じたのか?

掘り下げてみよう。

あくまで私の観察範囲内、山手線東部より西側の、都心の武蔵野台地に限った話なんだけど、実はカワセミが1年中いて繁殖を確認できた場所は、共通点がある。

いずれも都内屈指の「高級住宅街」と「下町」がセットの場所、なのだ。

都心におけるカワセミが繁殖できて1年中いる場所の、カワセミの環世界と人間の環世界、双方から見た共通点を挙げてみる。

1 カワセミの環世界。

餌になる10センチ以下の魚や甲殻類が上から目視できて、飛び込んで捕まえられる深さ50センチ未満で、ナワバリが十分取れる数百メートルの水の流れがある。流れ沿いには木があって、外敵から身を隠すこともできる。

そのすぐ近くに隠れ家になる緑がたくさんある浅くて大きな止水があって、こちらでも1年中魚や甲殻類が採れる。

同じエリアに壁面に穴が開いていて、子育てがそこでできる場所がある。

2 同じ場所の人間の環世界。

下水処理が高度化して水がすっかりきれいになったおかげで、橋の上から魚が見えるコンクリート3面ばりのこじんまりとした二級河川が流れていて、桜並木なんかがあって、お花見が楽しい。

川沿いは、下町でもともと工場街があった。鉄道駅も近く、商店街が充実していて、スナックや美味しい蕎麦屋さんかもあったりする。

川のすぐ脇には、大きな池のある緑豊かな公園がある。その公園は、もともと殿様の持ち物だったりして、公園の上手は大地の高台になっていて、高級住宅街。

3 同じエリアの地形と歴史

12万年前は海中に没していた都心。数万年前の氷期の時代に100メートル以上海面が低下し陸地になった。そこに多摩川の扇状地由来の武蔵野台地が形成された。都心の台地部分はその先端。

この台地を、幾つもの湧水から出た水が、雨水とともに土地をうがって、渓谷を形成し、巨大な古東京川(元の利根川)に流れ込むようになった。

3〜1万年前までに、関東に達した人類は、武蔵野台地の湧水と小流域を格好の住処として選び、暮らした。(善福寺川沿い、白金の渋谷川沿いなど、上記の地形に多数の旧石器遺跡が都心にある)

1万年前の縄文海進の時代に、古東京川は海面が一気に上がり、現在の東京湾になった。現在の東京都心の西側の舌状の武蔵野台地は東京湾に突き出た半島。そこから、氷期に形成された湧水と渓谷状の川の流れは、縄文海進によって海辺と接することになった。

川と海が接する場所は干潟が形成されるため、狩猟採集にはうってつけ。多くの人々が、旧石器時代と同じ場所に違う暮らしを始めた。干潟、河口で魚介類を採集し、集落を形成する。都心の多くの貝塚がこれ。何せすぐ上流には湧水があるため、新鮮な水には事欠かない。湧水の上は台地のへりなので、水害の心配もない。

弥生時代以降は、再び海が数メートルほど後退したが、複数の湧水と台地を穿つ細い川、そして数キロ先に海、という地形は、人々が暮らすのにうってつけだった。結果、弥生遺跡、そして川の縁に古墳が形成されった。古墳があるところは、その時のエリアの権力者が住んでいた証でもある。

その後、まず関東平氏、とりわけ秩父平氏の関東武士の一派が、この地形を積極利用した。

典型が豊島氏で、私の観察エリアの一部は豊島氏縁の城などがいくつもある。

あるいは、黒田清子さんが観察を続けている東宮御所=江戸城。武蔵野台地の半島で、湧水と周囲が旧神田川と旧石神井川と旧利根川の河口である。こちらは江戸氏が開拓した。

そんな秩父平氏たちの開発を簒奪したのが太田道灌であり、次に後北条であり、最後に徳川家康である。

その家康が作った江戸の町において、都心部の河川流域は、台地の縁と湧水がセットになった高低差のある場所は大名邸に。その湧水の流れこむ先の河川沿いの低地は、商人町として利用された。

明治以降になると、台地と湧水と川がセットになったエリアは、台地と湧水部分の大名邸は明治の元勲の家、あるいは公園に転用された。川沿いは、商業地区から工業地帯へと変貌していき、染物屋、印刷屋が増えていく。

大正から昭和にかけて、関東大震災以降は、都心西側のやや郊外部分の台地と湧水と川がセットの地形が、新しい住宅地として注目されるようになる。典型が、東工大のある大岡山・洗足の、呑川流域で、最大の湧水地の集積である洗足池湖畔は、明治期に勝海舟の別荘があるなど、別荘地として有名だったが、渋沢栄一が田園都市株式会社を設立し、洗足に本社を置き、この洗足池周辺の台地、呑川本流とその脇の湧水である瓢箪池のある大岡山、そして呑川支流の九品仏川右岸と多摩川に挟まれた台地で、やはり蓬莱公園という湧水地のある田園調布を、開発拠点とする。

こちらも古墳などが出土する古いエリア。

戦後から1990年代まで。

以上の、カワセミと人の楽園は、高度成長期の凄まじい公害で一旦崩壊する。都心の中小河川沿いは工場が立ち並び、工場排水がそのまま流された。人口が急増し、人々の生活雑排水もそのまま流された。都心の工場から出る煙と自動車の排気ガスは徹底的に空気を汚染し、カワセミは1990年代まで一旦都心部から完全に姿を消す。

1990年代以降。

工場が都心から移転。下水処理が高度化。結果、都心の河川の水質が改善する。海や大型河川と繋がっている川には、徐々に魚介類が戻ってくる。隔絶された川では人為的に放流された外来種(ブルーギルやヌマエビなど)が定着する。

結果、郊外から再びカワセミが進出。2000年代には都心のあちこちでカワセミが観察されるようになる。

現在。

私がカワセミを継続的に観察している都心の四箇所は、全て共通した街の要素を持っている。

1 武蔵野台地を穿つ中小河川の作った小流域である。

2 その河川は現在コンクリート3面張り。水深は10センチから50センチ程度と浅い。

3 水は高度処理され落合下水場から分配。

4 一年を通して、魚介類が確認できる。

5 川の両岸、あるいは片側は高低差のある台地が残っている。

6 川と台地の縁に挟まれたところに湧水地があり、今でもまとまった水がわいており、中規模の緑地公園になっている。かつては大名屋敷や別荘地だった場所。

7 公園の上手の台地エリアは都内屈指の高級住宅街。有名人の家も多い。ホテルがあったりなんかもする。

8 川沿いは、私鉄、JR、地下鉄の駅が近くにあり、交通至便。川沿い、および駅とつながる細道は、商店街が形成されている。

以上だ。

わかりますか。

都心でカワセミが一年中暮らしている場所は、高級住宅街と大きな池のある緑地公園と川と鉄道駅と商店街がセットになった、土地の高低差が狭い面積のエリアである。

高低差があって、緑に囲まれていて、湧水があって、その先に水が流れている土地。

高低差のある台地の崖に穴を掘って子育てをし、湧水地と河川で餌をとり続けるカワセミにとって理想の場所。

一方で、それは、アフリカで進化してきた人類が常に暮らしてきた場所の基礎条件とピタリ符合する。

あらゆる時代の人類の成功者はこの地形とランドスケープが大好きで、古今東西のお城も屋敷も金持ちの別荘も、高低差、緑、池もしくはプール、水の流れがセットになった場所を作りたがる。

なんとカワセミの環世界における理想の場所は、人類の環世界における理想の場所とピッタリ符号するのであった。

少なくとも東京都心においては。

だから、カワセミが住む街はいい街、ということが演繹的に証明されるのであった。

港区で言うと、

有栖川公園=台地の高低差と湧水地。その下流部の渋谷川。反対側の台地の縁の白金自然教育園。

ここでは、カワセミが通年暮らしている。

都心屈指の高級住宅街と、広尾や白金の低地の川沿い商店街(川沿いの典型としてどちらも風呂屋がある)、そして低地に鉄道駅。

上記の条件とぴたりと符合する。

究極は、そう「皇居」であります。

そしてこのエリアは、旧石器、縄文、弥生、古墳の遺跡が見つかっている場所でもある。

もしかしたら3万年前から、都心暮らしの人々は、自分の住まいの目の前の湧水地や川で餌取りをし、子育てをするカワセミを眺めていたのかもしれない。愛でていたのかもしれない。もしかしたら、東京人の最初のバードウオッチングは、カワセミを愛でることだったかもしれない。

いや、場合によると、人類はカワセミを見つけて「ここは俺らが住みやすい場所」なんて、目印にしていたかもしれない。

その後、権力者はカワセミが来るような庭園をわざわざ作ったかもしれない。

なんて考えると面白い。

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