国道16号線と『SEX』上條淳士と日本人と。

 のっけから断言するが、東京の、いや、日本の歴史は、国道16号線から始まった。そして、日本人は国道16号線である。

 何を言ってるんだ、このおっさんは。

 そう思ったあなたの反応は、ま、正しい。

 でも、もう一度、断言しちゃう。

 日本の歴史は、国道16号線から始まった。

 そして日本人は国道16号線である。

 国道16号線とは何か。

 東京湾に面した横須賀から海沿いを横浜方面に抜け、そのあと東京湾を大きく円周を描いて囲むように、相模原を抜けて、東京の町田に入り、八王子、福生を抜けて、埼玉の川越へ、さいたま市から、春日部を抜けて、千葉の野田へ、柏、船橋、千葉と再び東京湾沿いに出て、木更津、富津へ。で、ここで終わりかと思うとそうじゃなくて、金谷からなんとカーフェリーに乗って東京湾を渡って、横須賀の久里浜へ。

 かのごとく16号線とは東京湾を大きくぐるりと一周する道。距離にして250キロ少々。東京から浜松くらいの道のり。国道、というくらいだから、命名されたのは明治時代。いまの環状線のかたちになるまでは、昭和にいたるまでの100年を要した。

 そんな「新しい道」がなぜ、日本の歴史なのか?

 実は、いま16号線が通っている道筋は、そのまま、関東南部に人類が住み着いた道筋、なのだ。現在の東京近郊に1万年前後前、縄文時代の人間が外からやってきて、居を構え、移動し続けた道筋、なのだ。

 ひとつは陸路。長野から甲府を抜けて今の八王子あたりにたどり着いた古代の人々は、まさに今の16号線を辿るかのように、北に南に移り、住み着く。縄文遺跡の在処を地図に置くと、ぼんやりと16号線のかたちが浮かび上がる。

 一方で、16号線は海に開かれている。三浦半島と房総半島が16号線の「港」だ。遠く海を渡ってきた人々が、錨を下ろし、海岸から16号線を辿るように、内陸へ内陸へと歩を進める。だから16号線沿いには、渡来人ゆかりの地名が点々と残る。

 あらゆる日本人は、外からやってきた。そんな外からやってきた人々にとって、東京湾という豊穣で静かな内海をぐるりと囲んだ16号線という「地形」は、またとないすみかであり、移動に適した道であり、海の幸と山の幸とを交換するのにうってつけの場所だった。

 つまり、東京湾地域を最初に「人の街」にしたのは16号線だったのである。

 江戸時代にかけては、八王子から町田、横浜にかけての16号線では、養蚕が盛んになり、ここでつくられた絹が、横浜港に運ばれて、明治時代に入ると、日本の貿易の黎明期を支える最大の輸出品のひとつとなる。

 さらに空へ、海へ、世界へとアクセスが容易な16号線は、軍の拠点となった。かつてペリーに開港を迫られた横須賀は軍港となり、三浦半島の先端には軍の秘密基地が設けられ、16号線の座間や福生や立川などには、日本軍の拠点が設けられた。

 戦争に負けると、日本軍の拠点すべてが、米軍のものとなり、16号線は、アメリカになった。どこよりも早くアメリカになった。巨大なアメ車。軍放出のファッション。そして音楽。映画。16号線沿線は、アメリカの夢を日本人に見せつける場所に変わった。16号線の内外は、ディズニーランドからよみうりらんどから水族館まで、アメリカ的なるアミューズメント施設が立つ場所であり、最初にショッピングモールができる場所であり、IKEAやコストコのように海外の商業施設が進出する場所となった。

 外から来たものたちにより、上書きされ続けることで、日本は今の形になった。16号線は、常にそんな日本の「港」であり、「ゆりかご」であり、「DJ」だった。

 ところが、こうした16号線「史」が、正史で語られることはない。徳川幕府以降現在に至るまで、東京の歴史は江戸中心主義だからである。それを物理的に規定したのが、江戸時代以降発達した放射線状の街道であり、明治時代以降に発達した放射線状の鉄道である。都心=中心で、外へ出れば出るほど田舎。そんな概念が当たり前となってしまった。東京の中心から40キロほど離れた国道16号線などはまさに最果ての場所、とみなされた。数千年から1万年前後の歴史を持つのは、むしろ16号線のほうなのに。

 けれども、「五感の知能指数」が高いひとたちは五感で知っている。

 日本人がすべて外からやってきたことを。

 ゆえに、常に外からの文化、外からの文明に対して開かれていることを。

 あとからあとから海を越えてやってくる文化文明で、自らを上書きしていくこと。

 あらゆるものをのみこみ、アレンジし、マッシュアップし、変形させて、なにものでもない「日本」にかえてしまうことを。

 つまり16号線こそが日本そのものであり、日本人そのものであることを。

 そして。五感の知能指数が高いひとたちは、そんな16号線的なる日本の意味を、価値を、自らの作品で、体現する。

 なによりも、音楽。

 美空ひばりを、裕次郎を、若大将を、ユーミンを、サザンを、エーちゃんを、クレージーケンバンドを、戦後のあらゆるヒップな音楽を聴く。

 その多くがきわめて具体的に16号線の場所、16号線の空気を経ていている。

 ジャズからロックから歌謡曲まで。アメリカ化した16号線が、戦後日本の音楽のターニングポイントをつくった。もちろん、ただコピーをしたわけではない。当のアメリカが生まれる数千年も前から先に存在する16号線というOSにアメリカ音楽というアプリケーションソフトをインストールすることで「16号線的」としかいいようのない日本独自のポップミュージックを、五感の天才たちが産み出した。

 そんな16号線的なる音楽に直結する作品が、ひとつある。

 上條淳士さんが描いた『SEX』だ。

 1988年から92年までヤングサンデーに連載され、2巻だけコミック化されたあと10数年封印された後、2000年代半ばに突如全巻が揃い、つい最近小学館文庫に入った。

 物語は、16号線沿いの基地の街、福生と沖縄を結んで始まる。

 福生に住む中学3年生のスレンダーな美少女カホ。

 夏の修学旅行で沖縄を訪れたカホは、幼なじみで小学生の頃沖縄に転校したナツとの再会を頭の片隅に入れていた。そこに現れた謎の男、ユキ。ユキと共にヤクザとの抗争に巻き込まれたカホは、ユキの風貌にナツを思い浮かべる。そのとき、ナツが抗争のまっただ中に爆弾を……。

 物語はその1年後、福生へ。福生で高校生活を送るカホ。沖縄から逃れてきたナツも高校生に。やはり沖縄を追われたユキと、3人は米軍払い下げのハウスで共同生活を。ユキは福生の基地で暇を持て余す米軍の男に近づく。その福生に降り立ったのが、沖縄でユキを襲った沖縄ヤクザのヒガ。物語が動き出し、横須賀、そして再び沖縄へ。

物語の説明は、これ以上しない。小学館文庫全5巻がすぐ手に入る。1冊740円。5冊で3700円。ここまで読んでしまったからには、黙って大人買いだ。

 80年代終わりに描かれた作品だからといって、古びたところはゼロである。開けば常に瑞々しい。新しい。16号線を抜ける風のようだ。その熱気を帯びた風は、どこか沖縄のそれと似ている。

 なぜ古びないか。なぜ瑞々しいか。それは、『SEX』という作品の主人公が、カホ、ナツ、ユキの3人以外にもう1人いるからだ。

 つまり、16号線、である。

 金網に遮られた福生の軍の飛行場。日焼けした米軍ハウス。ピザ屋。遠く、横須賀まで海へとつらなる道。

 東京郊外のひなびた街が、海へ、空へ、そしてその向こうの、沖縄へ、さらにおそらくはアメリカへ、とつながっている。まちがいない。16号線は、ルート66ともつながっている。

 いま、いるのは「ここ」だけど、飛行機を、道路の向こうを見つめるまなざしは、「ここではないどこか」へつながっている。

 外から来た見知らぬものを受け入れる力。外へ出てこうとする人間の背中を押す力。海風のように、背中に張った帆をぐいと前に進める力。16号線の持つ、そんな不思議な魔力を、『SEX』は見事に描く。

 なぜ、『SEX』という作品が、16号線の空気を描き切ることができたのか。それは、上條さんの作品が、漫画であると同時に「音楽」だから、である。物語以上に、肌を震わせる空気を、間を、メロディを伝える媒体として、絵を使う。

 偶然ではない。

 上條さんが世に知られるようになったのは、80年代、少年サンデーに連載されていた『TO-Y』だ。カリスマ的な少年を主人公に、インディーズロックシーンと芸能界のはざまを描く。このとき上條さんはすでに、絵で「音」を、「メロディ」を描いていた。擬音も、歌詞も、一切書かずに。

 その後描かれた音楽を主題とした漫画の多くが、この『TO-Y』の手法を踏襲する。が、誰も上條さんの描いた「空気」には届かない。なぜならば、上條さんは「漫画家」であると同時に、絵で音を、空気を伝える「音楽家」なのだから。

 『SEX』の主人公、ナツとユキのモデルは、あのザ・ストリートスライダーズのハリーと蘭丸だ。スライダーズこそは福生、横田との米軍文化と日本のロックとが交錯した瞬間に生れ出たまさに16号線的な音楽そのもの。そのバンドの2人を主人公のモデルとして「起用」した時点で、この作品が「漫画」であると同時に、16号線を唄った「音楽」である、ということが知れる。

 この上もなく洗練された絵柄で、あり得ないほどスタイリッシュな主人公たち。カホ、ナツ、ユキ。でも、彼らこそが、典型的な日本人なのだ。

 繰り返そう。なぜならば、彼らは、外を受け入れ、外へ出ようとする16号線そのもの、つまり日本人そのものだから。

 そう考えると、日本人、けっこうかっこいいぜ。


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