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メディアの話、その13 トラクターと自動車と。

昨年、仕事でドイツ・ハノーファーで、大量のトラクターを見てきた。

2017年は、個人的に「トラクター」が再発見された年。

中公新書の『トラクターの世界史』がベストセラーになったのはその象徴である。・・・と、勝手に思っているわけですね。

トラクターは20世紀のおかあさんだ。

トラクターが19世紀末に誕生し、ヘンリーフォードにより大量生産され、アメリカ全土に普及すると、農業は一気に変わった。「工業」になった。

聖書における、人類最古の殺人は、カインによるアベルの兄弟殺しである。

兄カインは農夫で、弟アベルは羊飼い。

神に、兄カインは農業作物=土の実りを、弟アベルは羊の初子を捧げた。

神はアベルの羊に目を向けたが、カインの作物には目を向けなかった。

嫉妬したカインはアベルを殺す。

神は、カインに問う。「アベルはどこに?」

カインは「知りません。私はアベルの番人じゃないので」と嘘をつく。

無論、神はすべてお見通しである。

カインの嘘を暴き、彼はエデンの東に追われる。

この話にはいろいろな読み解きがあるけれど、

羊を追う放牧よりも、計画的に農地を耕し農作物を生産する農業は、

人間にとって神の域に入る「知恵」とみなされた、という説がけっこう大きい。

以来「農業」は人間にとってもっとも重要な仕事であると同時に、もっとも過酷な「苦役」にもなった。

その「苦役」を共にしてくれたのは、

馬だったり、牛だったり、ロバだったりしたわけだったけれど、

完全に開放する道具として登場したのが、トラクターだったわけである。

同時期、交通や物流に関して、同じ動きが起き、馬車に代わって自動車が登場し、人を運び、ものを運ぶようになった。

さて、ここでマクルーハンの話になる。

マクルーハンは、メディアを人間の能力を拡張したものすべてと認識した。

そして、時間と空間を縮めてくれる自動車と道路こそは、まさにメディアである、と断言している。

とってもよくわかる。

自動車というメディアがもたらしたものは、文明の質量ともに圧倒的な変革だった。まさに自動車そのものが、メディアであり、メッセージだった。

では、トラクターは?

トラクター以前以後で世界は変わった。

いまの人口増大はトラクターがなければ果たし得なかった。

農業生産性の向上と主食作物の爆発的増産があったからこそ、20世紀の人口増大は実現した。

また農村部に張り付いていた労働力は、トラクターによって農作業の効率化が進むと、都市へと移動した。アメリカでも、そして戦後日本でも。高度成長の裏には、農業機械の普及があった。いわゆる金の卵が産まれた裏には、トラクターがあった。

では、トラクターは「メディア」だろうか。

乗用車が人を運ぶ媒介=メディア、トラックが荷物を運ぶ媒介=メディア。

だとすると、トラクターは?

農作業を行っていた人間の手足の拡張、という意味では、メディアかもしれない。が、トラクターは何かの媒介、となっているだろうか。

トラクターが運んでいるのは「労働」そのものである。

農作業そのものである。

トラクターは人や物を運んでいるのではない。労働を運んでいる。

田んぼを耕したり、農薬を散布したり、苗を植えたり、稲を刈り取ったり。

そんな作業を、労働を、田んぼや畑に運んでくる。

トラクターは「農作業」のメディア。

そのトラクターがAIを搭載し、自動運転化を果たす。

人間は完全に農業における「労働」から開放される。

トラクターが農業に関わる「運転」という「労働」までをも運んでくれるからである。

すると、そこで労働から開放された人は何をすればいいのか。

労働を運ぶメディアであるトラクターの未来を考えることは、

そのまま昨今の「AI普及以降の人間のやること」を考えることのひとつとなる。

ちなみに、マクルーハンは、『メディア論』の中で「自動車」について語った章で、歩行者を疎外し、自動車が主人公となるショッピングモールの隆盛を予言している。そして最後にこう書く。

「車は一言でいえば、人と人とを結びつけると同時に隔てているすべての空間を模様替えしてしまった。この先10年はそれが続くであろう。しかし、その時までには、エレクトロニクスによる新しい車の後継者が誕生しているはずだ」

これ、60年代前半に、マクルーハンは書いている。自動車というメディアは時空を歪めた。結果、人々の行動様式は変わってしまった。でも、自動車は変化する。進化する。それは、エレクトロニクスの力でおそらくはより体感的でより部族的な社会の復活を促すビークルになるはずだ。と。

いま、まさに進められている、インターネットに接続し、「目」を持ち、自動で運転を行い、世界をスキャニングする、電気仕掛けの自動車の開発。

マクルーハンはひとつだけ間違いを犯した。それが登場するのは60年代からの10年後ではなかった。50年後、だった。時代の足は、マクルーハンの脳の回転より5分の1ほど遅かったらしい。

続きます。





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