メディア論 73 小売大企業は、なぜ初代で潰れるのか。
巨大小売業の多くは、短命だ。
事実上の創業者と共にその寿命を
いったん迎えているケースが目立つ。
ダイエー、セゾン、そごう、ヤオハン・・・・・・。
ちなみにイトーヨーカ堂もセブンイレブンも創業者がまだ健在。
イオンも岡田卓也氏が実質的な創業者だとすると、同様である。つまり、世代交代が終わっていない。
アメリカのウォルマートは
世代交代はしたけれど、誕生したのは1962年。
たった56歳である。私と2歳しか違わない。
まだ「若い」会社である。
なぜ大規模小売業は、長生きするのが難しいのだろう。
いろいろ考えてみる。
小売というのは、再現性の低い
アートみたいなものなのだろうか。
コマーシャルに同じことを感じる。
youtubeで古いコマーシャルをみると、
わずか数年前のコマーシャルがものすごく「ずれて」感じる。
面白いことに、そのコマーシャルに流れている音楽は
(曲にもよるけど)案外古びない。
だから、逆に古い音楽が、いまのコマーシャルに使われること
があるのだろう。
コマーシャルは古びるのに、音楽は古びない。
小売というのは、コマーシャルと同じ。
ある時代の実に多様な情報や状況や人々の無意識を
全部取り込んだもの。それがうまくいったところが
トップに立つ。
でも、その因数は凄まじく多様で多量だから、実は再現性がない。で、企業規模が巨大になるほど、仕組み化が進むから、時代からずれても、後戻りできない。
音楽は、実は形のある「モノ」の一種なのかもしれない。
「モノ」に対する、人間の気持ちの移ろうスピードは、
「小売」や「コマーシャル」に対するそれよりも、
ずっとずっと遅い、のかもしれない。
なぜならば、モノに接するのは、感情ではなくて、皮膚だったり、本能だったりするから。つまり、求めるものが、ある程度決まっている。保守的だったりする。
音楽も、おそらくは誰もがずっと聞きたい曲のある種のツボのようなものは、人間側にある、とっても保守的な感性と呼応している、のかもしれない。
いったん崩壊した三越だけど、
元々は「越後屋」という呉服屋。
つまり、SPA、製造卸の元祖である。
百貨店三越の寿命は、合併するまで百数十年だったけど、
越後屋は1673年創業だから200年以上。
セゾンも、
一番元気がいいまま残ったのは、
製造業的な「良品計画」だったりする。
その中身の本質は、
創業時とさしてずれていなかったりする。
百貨店=小売の変遷とはえらく違う。
小売業は1代で廃れる。
だから、場所貸しに徹して、
そのとき流行っている商売に貸し出せばいい。
パルコが始めたビジネスは、
ポスト百貨店=小売の中心になった。
百貨店が潰れて、
森ビルの微妙なヒルズになったり、
三井のアウトレットやららぽーとになったり。
JRの駅ビル戦略だったり。
小売業から不動産業に事実上業態転換したら、
勝ち組になったジャスコ改イオン。
皮肉にも、
自分のモールで小売業のジャスコ部分だけが赤字だったりする。
今、個々の企業は、越後屋に先祖返りする。
小売機能を持ったモノづくりプロデュース稼業に。
ユニクロから数々のファストファッションまで。
ものを作って自分で売る。
ならば、アップルは意外と持つかもしれないなあ、
工場を持たぬモノづくり企業だけに。
てなことを
iPadとMacBook Air製品発表のレポートを見ながら、
ぼんやり思う。
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